悪い男

悪い男

2004/03/03

新宿武蔵野館

 

この映画は簡単に頭で納得できる映画ではないですね。

ストーリー重視の人にはすすめないです。話だけ追っていくとなんとも痛い話でありますから、韓国のフェミニストに批判されているというのも全くうなずける「話」です。

一見して「悪い男」ハギンがとった行動は、愛する女性を罠にはめ、娼婦に堕とすというもの。

裕福な女子大生ソナにとっては虐待としか受け取れません。

しかし、この映画で目を奪われるのは光と闇のコントラスト。

それは社会の裏道を歩んできたハンギ=闇、青春を謳歌している女子大生ソナ=光。

しかし、愛にめざめたからといってハンギは闇から光に簡単に移れるわけではない、そして光のソナを闇に引きずり込む。

自分を変えることなく、相手を無理やり引きずりこむ、それは愛だけではなく、自分を疎外する社会への憎しみ。

(その対象を女性、としたことで論議をかもし出しているわけですね)

好き→相思相愛→結婚という一本の道しか知らない、わからない人には理解できない闇というものを監督は

執拗に追っています。

人間の中に光があって闇がある、闇があって光がある・・・愛しい思いと憎い思いが同時に存在する。

純愛、というより人間のもつ業でしょう。

ハンギは一言も発せず、優しい言葉をかけるわけではない、逆にどなりつけるわけでもない。

とにかく目の力と行動でもって、ソナに接するし、鏡を通してソナを見守り、何かあれば救う。

そんなハンギを自分は被害者だ、とにかく憎むソナですが、「悪い男」としか映らなかった男の闇を目にするように

なって次第に変化が現れる。

確かに自分を陥れた憎い男であるけれども、自分を守る男でもある。その二重性が「ひとこと」では言い表せない

多様性を持っている、優れた点だと思います。

監督のインタビューで批判されていることに対して「木を見て森を見ない批評家が多い」と言っています。

観客に対しても同じ提議をしていると思います。それは、自分で考えるしかありません。

何が幸福なのか、愛なのか、憎しみなのか、どうしようもないことへの怒りはどこへぶつければいいのか?

この映画で考えることが必要です。受身にただ純愛にひたっていたいだけの人は、監督の鋭い刃でぐっさり

刺されます。そういう危険性と痛みを美しい映像でもって映画にした監督の技量と勇気に感心します。

ラストは、ここで終わりか・・・と思うと先が続く、何回もラスト・シーンが続きます。どの終わり方がいいか、それは観客に決めてもらいたい、とも言っています。

観ていてヨーロッパ映画のようだな・・・と思ったのですが、印象的な歌、イタリアのジャズシンガーによる"I Toui Fiori"をはじめ歓楽街の彩り、娼婦たちの衣装・・・なんとも雰囲気が色鮮やかで

幻惑的でもあってとても好きな映画です。

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