下妻物語
2004年6月2日 シャンテシネにて 2004年日本:102分:監督 中島哲也
もう、極端なキャラクターたち。マトモな人が全く出てこない「世界」を作り上げているおもしろさですね。
中島監督は、CM出身で聞けば「ああ、あのCM・・」という数々のCMを作り上げている石井克人監督と同じなんですね。
CMという短い時間の中でどれだけ「目をひくか」・・・映画だって15秒、30秒の積み重ねの102分。それを手抜きすることなく疾走してしまっているのが、快いし、くるくると話は転がっていくし、なんとも個性的で、毒があります。
主人公、桃子(深田恭子)は、「私はロココが好き。ロリータのお洋服が好き。甘いものだけがあればいい。」という「異様な」マイペースというか自己中心の塊、興味あるのは自分だけ、故に他人の目、ましてや異性の目なんて全く気にしていない。友達、恋人なんて欲しくない。とにかく自分だけ、がよければいいというのは「ロリータファッション」という鎧で身を固めて自分を守っているかのよう。その分、桃子は他人に頼ったり、依存したり、何かあっても他人のせいにして逃げたりはしないのですね。東京までお洋服を買いに行くには3時間かかるという下妻に住んでいて、不自由なのに不自由を全く感じず、完全に自己完結しています。だから外に出ようとか、なんとかしよう・・・という外との関係なんて全く持とうと思わない。
この「自分だけがよければいい」桃子は、異様なのかもしれないけれど、実はこれって(自分を含めた)今の日本人の本音をずばり言い当てているような気がします。「他人に迷惑かけなければ何をしてもいい」「他人のことで煩わされたくない」「気にいらないことは相手にせず、完全無視」
そこにひょんなことから出会う、これまた時代錯誤の暴走族ヤンキー娘、イチゴ(土屋アンナ)
これまた極端なヤンキーぶりでこのハイテンションずっと保った土屋アンナに内心感心してしまいました。
しかし映画は、終始桃子の視点、ナレーションで進むので、イチゴは桃子にしたら「かかわりたくない人」なのでイチゴの「ダチ感覚」をしらけて見ています。よりかかって来ようとするイチゴをさっさと追い払うことしか考えていませんが、そこが上手くいかない、のではなく、上手く2人の強烈個性が合体して感動の「友情物語」「他者肯定物語」になっているのだから、監督とことんいじわるですねぇ。
お人形のような深田恭子にお人形のようなお洋服きせて、この性格。見た目のかわいい、外見だけのかわいらしさをこれでもかと見せておいて「かわいい」の概念くつがえしているのは、私なんか快哉を叫んでしまうのですが。
脇に出てくる人も、父、宮迫博之、母、篠原涼子、祖母、樹木希林、阿部サダヲちゃんに(ひそかに怪物女優と思っている)小池栄子などなど、監督が演技指導として「やりすぎてください」と言ったそうですが、もう、爆裂してますね。
これをおもしろいと思うか、共感するか、笑えないと思うか、不快ととるか・・・それぞれでギリギリ崖っぷちなんですが、とても凝るところ凝っていて、私は「おもしろい!」と思ってしまった方ですね。特に、土屋アンナのヤンキーぶりってあまりにも滑稽で、なつかしくすら思いました。(イチゴが代官山で見つけたもの・・・を考えるとますますおかしい)荒川良々さん、ちゃんといるしね・・・ま、きちんとした茨城弁が出てこない(私の田舎は茨城)のですが、それはまぁ、いいとします。
この映画は『カミカゼ・ガールズ』という英語タイトルで世界の映画祭などで上映がきまったそうです。
映像の凝り方なんかは完璧ですからね。言葉のニュアンスのおもしろさ、字幕では伝わりにくいけど、ユニークさと毒はたっぷりですから・・・そしてやっぱり、原作、嶽本野ばらですよねぇ。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
0コメント