モンスター

モンスター

Monster

2004年10月11日 渋谷 シネマライズにて

(2003年:アメリカ:109分:監督 パティ・ジェンキンス)

2002年に処刑された連続殺人犯、アイリーン・ウォーノス。映画化に対して熱心にアプローチして処刑前夜に承諾を得た、主演のシャーリーズ・セロンが肉体改造して本人そっくりの熱演でアカデミー賞主演女優賞をとったなど、衝撃的な話題は十分ある映画。

でもこの映画、観てみるとそんなに衝撃的、暗くはないのですね。

アイリーン(リー)が、人生に疲れて自殺しようとした晩、バーで(デュラン・デュランやカルチャー・クラブの音楽ががんがん流れている時代です)出会った女性セルビー(クリスティーナ・リッチ)によって生きる意義を見いだす喜びの表情がなんとももの哀しくて、暗いというより哀しい。

生活力がないセルビーと一緒にいるため娼婦をし、また、別の職業に就こうとして傷つき、そして客に暴行されそうになった身を守るため殺人をしたことから転がり落ちていくリーですが、映画は絶望の中にいながら生きようとする姿に焦点をあてています。

シャーリーズ・セロンは驚きの体型から歩き方、しゃべり方、表情で、アップの多い台詞のやりとり・・・過去の美人女優キャリアをかなぐり捨ててますというインパクトありますが、映画はそれを通して何を・・・でしょうね。

もし、リーがセルビーに出会わなかったら自殺していたかもしれないし、殺人を犯すことにはならなかったのかもしれません。しかし、人と一緒にいる、誰かの為に働こうという高揚した気持ちも味わえなかったという、社会の矛盾を考えさせられます。

キーパーソンはリーを変えていく女、セルビーですね。これが男ではないところがまた、人生にもう望みがないということに拍車をかけています。

クリスティーナ・リッチは『バッファロー66』でも、どうしようもない男、ヴィンセント・ギャロの人生を変えるキーパーソンでしたが、彼女のふくよかさや、わがまま具合というのが「魅力」になっているという。

決して美しさや生活力ではないのですね。何故か一緒にいたい・・・という気持ちにさせる雰囲気を醸し出しています。セルビーの無垢さとわがまま、残酷さが微妙な程度で現れてきて、クリスティーナ・リッチ、上手い。

シャーリーズ・セロン、一人舞台の映画ではないのですね。

セルビーの存在というのがリーの全てなのですから。そこに説得力がないとダメなんですね。

事実が示しているように、2人のユートピアは崩壊します。人間に裏切られ、人間不信に陥っていたひとりの女を救った女、そしてそれをまた裏切る女。そんな2人を世間から排斥しようとする人たち。裏切られても何も言えない女。

人間、誰もがモンスターになりえるのですよ、ということかもしれません。

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