血と骨

血と骨

2004年11月18日 丸の内プラゼールにて

(2004年:日本:184分:監督 崔洋一)

あまり予備知識なしで観たのですが、見終わって2時間24分という長さの映画だった、と気が付きました。

始まってから一気に見せる勢いが大変強い映画なので、だれることなく時間を忘れてしまいました。

大正の時代に済州島から日本にやってきた在日朝鮮人一世~二世を描きますから、民族性とか、歴史とか、重要なことというのはわかりますが、これはあちこちで書かれる、言われることでしょうから、あえてそこの所ははぶきます。

朝鮮人だから・・・という映画ではないからだし、私はそういう括弧でくくって大雑把に○○人は、という言い方や安直な判断、先入観はは好まないからでもあります。

この映画は、戦後からの昭和を描いた昭和史映画でもありますね。

あくまでも、登場人物たちは、主人公の金俊平(ビート・たけし)とその一家、周りの人で狭い世界ではあるのですが、その狭い世界にも昭和の流れが入り込んでいるという面をきちんと出しているのがまずいいです。また、強引であってもひとりよがりではない、映画の作り方がいいです。

ナレーションとして映画を進行していくのは俊平の息子、正雄(新井浩文)=原作者であって、あくまでも息子から見た父の姿であり、男から見た男の姿。

蒲鉾工場から得た収益を元手にして高利貸しになる俊平。言葉よりも先に暴力で解決する家族関係。親子の情など関係なく愛人を囲い、金の亡者となる父に耐える家族ではありますが、耐える人ばかりではない。

まず、前半に済州島時代、俊平が産ませたと言って突然現れる、自称息子のオダギリ・ジョー。なんとも物怖じせずずかずかと家に入り込んできて、俊平のことを全く恐れない。暴力をふるわれたら、判然と立ち向かう。俊平の顔ばかり伺っているような雰囲気なのにこの荒々しい自由感というのが、オダギリ・ジョー良かったですね。まだ、少年である正雄はそんな姿を見て、恐ろしいというよりヒーローのような憧れを持ってしまう。

後半は愛人となる濱田マリ。俊平という人は、強欲ではありますが、騙す、ということをしない。あくまでも真っ正面から自分を押し出して裏工作や、偽善的なことは全くしないのに反しての、この愛人のしたたかぶり。

主役のビート・たけしは自分だったらこの映画は作らない、と言って、演ずることに徹していて、暴力的で、強欲、強引な面と妙に潔癖な面を見せます。娘の通夜で皆がコソコソしている所に堂々と「娘はどこだ、娘を返せ」と乗り込んでくる時など周りから恐れられる反面、「大将」と言われる堂々としたところを見せたりといった、単純な悪人ではない難しさをその風貌だけで、出し切っていました。

そして子供達もいつまでも恐れてばかりの立場ではなく、反感を持ち、反抗していく青年になっていくし、俊平も確実に老いていく。

どんなに老いても、やっぱり怪物的存在であることはかわりなくても、時代の流れと共に、親子の立場も変わっていく。

また、その影には一家を精神的に支えていく男(松重豊)、共産主義に目覚めていく青年(柏原収史)の存在もあります。

息子2人との家、破壊しまくりの大喧嘩、借金の返済を迫る俊平の迫力・・・崔洋一監督の前には坂本順治監督の名前もあがったことが、納得できる男と男の対決なんですね。妻である鈴木京香も耐えながらも逃げない、死なない・・・というしたたかさを感じます。

激しいやりとりが多い中に、息子、新井浩文が父に耐えかねて、喧嘩するときの「ファイトでいこう!」「お~」とか、片足が麻痺してリヤカーに乗せられても、金庫をしっかり抱いている俊平の絵とか、滑稽なところもありますね。

そういえば私が子供のころには、俊平のような胴巻きをして、股引はいてたおじさんがいた、とか思い出したりもしました。

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