アンナとロッテ

アンナとロッテ

De Tweeling(Twin Sisters)

2004年12月25日 有楽町スバル座にて

(2002年:オランダ=ルクセンブルグ:137分:監督 ベン・ソムボハールト)

監督が、「戦争は単なる背景にすぎず、我々が今どれほど表層的な人間になったかを表現している」と語っています。

映画の「あらすじ」はシンプル。1926年ドイツで裕福な暮らしをしていた双子の姉妹、アンナとロッテは両親の死により、ロッテは裕福なオランダの親戚へ、アンナはドイツの貧しい農家親戚へ引き取られてはなればなれに。そして戦争を迎え、2人は戦争によって仲を引き裂かれる、というもの。しかしこれは『ふたりのロッテ』ではないですね。

アンナは労働力として過酷な人生を歩む、暴力から逃れ教会の家政学校を出るものの就職先はメイド。「メイドは一生メイドよ」と言われても、伯爵夫人の信頼を得てメイド頭としてプライドを持って自立している。

反して、ロッテはお金持ちのお嬢様。どんなに戦局が厳しくなって、苦しい生活を強いられたとしても家族と家に守られている。

生まれは同じでも、一生涯メイド的人生を歩むか、お嬢様的人生を歩むか、、、女性の基本的な所を鋭くついています。

映画は現代の老女を映します。アンナと思われる女性がロッテらしき女性に声をかける・・・ここで感動的な再会、と思いきやロッテはアンナを無視して避けようする、という所でこの2人が溝を持っていた時間の方が人生の中で長かったということがわかります。

表層的な人物という描き方では、ロッテがアンナと断絶するのが、写真を見て一瞬で断絶感を抱いて去ってしまう・・・ということが2度繰り返されてそれが老人になるまで続いてしまっているという所でよくわかります。

写真に対するアンナの説明に全く耳を傾けず、目にしたものだけで自己完結してアンナを廃絶するお嬢様、ロッテ。

そしてアンナはいつもロッテに許しを請いに行く・・・老人になっても許しを請いに行くのはアンナの方です。

もちろんロッテだって、子供の頃、アンナに宛てた手紙をことごとく隠されてしまう、婚約者はユダヤ人で強制収容所に拉致されてしまう、オランダに反ドイツ感情が高まる中、自分がドイツ人であることに苦しむわけです。

ただし、アンナの苦しみだって相当なものです。学校に行かせたくないという親戚が障害を持っていると嘘の申告をしたせいで、優良血族を優先するドイツ政府から断種(遺伝性の障害、病気を持つ女性に子供を産めなくさせる)を迫られる他、とにかく身を粉にして、働いて働いて、オーストリア人のナチ将校と幸せな結婚もつかの間。

ロッテの言い分としてはアンナは「私を不幸に陥れたナチの手先」というものなのですけれど、ある人の不幸と別の人の不幸を比べて「どちらが不幸」と決めつけることは出来るのか、ということですね。

不幸の基準とは何なのでしょう、と思わされます。私が不快な思いをしたのは、私のせいじゃない、全て周りのせいだ、と言い切れるロッテ型の人はある意味、「幸せな人」なんでしょうね。

アンナ役を演じたナディヤ・ウールという女優さんが、虐げられても何があっても雑草のように生き延びていくたくましさ、ロッテ役のテクラ・ルーテンはお嬢様から抜けられない雰囲気をよく持っていましたね。

双子といっても子供時代、成人時代、老人時代、それぞれオランダとルクセンブルグの役者さんを使っています。

ドイツ語とオランダ語の違い、戦争の歴史、ヨーロッパ民族の多様性が、とてもわかりやすくきちんと無駄なく描ききられている配慮というものはとても感心しました。2時間17分全く無駄なく一気に見せる力量あり、の映画です。

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