ビハインド・ザ・サン

ビハインド・ザ・サン

Behind the Sun

2004年12月8日 新宿武蔵野館にて

(2001年:ブラジル:92分:監督 ウォルター・サレス)

この映画はとても苦いです。しかしこの「苦さ」は、美味しいコーヒーの苦さであって、不快感を覚える苦い味ではない、ということに気づきます。

今の自分に十分満足で、何も変わって欲しくない、またはもっともっと楽していい生活、贅沢がしたい、とか綺麗なもの、甘いものだけ観ていたい・・・と思っている人にはこの苦さはただの「不快」にしか映らないでしょう。

それだけこの映画の舞台となる1910年のブラジルの村は荒涼として木という木はもう枯れ果てている、照りつける太陽のもとでの厳しいサトウキビ畑労働しかない、しかも土地の利権をめぐって2つの家がお互いの家族を殺し合って・・・今や土地が問題ではなく「殺されたら報復するのが名誉」という意味のない争いがずっと続いているのです。

ブレヴェス家の長男は、敵対するフェレイラ家の者に殺されてしまった。殺された長男のシャツを干して、その血が黄色く変色したとき、今度は20歳の次男、トーニョ(ロドリゴ・サントロ)が仇を討ちに行く番、ともう両家で暗黙の了解ができあがってしまっています。

その下にはまだまだ幼い「坊や」と呼ばれる弟がいる。

両家の父親同士は、息子たちの命よりも報復による名誉にしかもう、生きる意味を見いだせない。そして次男のトーニョも十分それを承知してあえて反抗はしないのです。

そして、トーニョが報復して、今度はトーニョが「シャツが変色して、満月になったら今度は自分が殺される番だ」というもう死刑囚のような立場にいても、黙々と働き、弟をかわいがる。弟も優しい、強い、頼もしい兄が大好き。

そんなときに坊やが、出会った2人組のサーカス。男と娘は高い竹馬に乗り、太鼓をたたき、娘は豪快に火を噴いて観客を楽しませる。字が読めない坊やに「人魚姫」の絵本を渡し、名前がないならパクーって名前をつけてあげるよ・・・と荒涼とした兄弟の生活に「楽しさ」が入り込んできます。

トーニョを演じた、ロドリゴ・サントロは「ブラジルの秘密兵器」と呼ばれるラテン系の美形俳優・・・なのですが、優しい黒い瞳、美しい横顔、良い体格をしているのですが、何とも不幸な身の上を、嘆くことなくまた親を恨むことなく、静かな姿勢を貫いています。

どんなに苦しい肉体労働をしていても、瞳は曇ることがないし、憎しみというものを知らないというイノセントさを全身から発しています。また、優しいけれど、死ぬ運命から逃れられない自覚からの孤高のムードもかもしだしていますね。

家の前には収穫したサトウキビを圧搾する歯車があり、牛がぐるぐると回ってサトウキビを絞る。そんな作業の繰り返しの合間に、「坊や」が「人魚姫」の絵を見るだけで、自分のお話を作り上げ、見たことのない海を想像して、楽しむ様子。そしてそれを暖かく見守る兄、トーニョの優しいまなざし、庭にぽつんとあるブランコに乗る兄弟・・・そしてサーカスの芸の素朴でファンタジックな楽しさ、コーヒーの苦さに砂糖とミルクを入れたようにマイルドな印象を観る者に与えます。

サーカスの女の子に惹かれてしまうトーニョですが、救いの道をトーニョは得ます。

しかしその代償はあまりにも大きなもので、幸福を得るためにどれだけの代償を払わなければならないか・・・もともとの原作はアルバニアが舞台で、監督はギリシャ悲劇をベースに考えていたそうですから、そのテーマというのは重いものがあります。

ビハインド・ザ・サン、というタイトルですが、シャツに着いた血が太陽にさらされて「黄色く」変色する、次の満月までは報復はしない協定、という太陽の影にある「月」の存在、いつも太陽が照りつけている、そんな環境の中にある人間同士の闇、そしてそこからの脱出、大雨が降った太陽の出ない時に起こる出来事・・・色々な物を指し示しているようです。

監督はこの映画のあとに『モーターサイクル・ダイアリーズ』を撮ったウォルター・サレスですが、人間に対する暖かい目、しかし厳しい現実から目をそらさない姿勢がいいです。(実際、こういう家同士の対立は現在も起きているそうです)

この映画からは、明るい光の中に映る見えない影を、あえて会話を少なくして、その分映像で雄弁に語り、苦い現実を、甘い苦さの寓話に変えることの出来る監督の力量と勇気というものを感じました。

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