ヴィタール

ヴィタール

2004年12月1日  銀座ヤマハホールにて(試写会)

(2004年:日本:86分:監督 塚本晋也)

この主人公、浅野忠信演じる青年、博史のモデルはレオナルド・ダ・ヴィンチだそうです。

大学の人体解剖実習をしていく内に自分の中の記憶がよみがえってくる青年。その記憶は解剖が進めば進ほど美しさと透明感を増し、自分が中を観察している人物の姿がより綺麗に意識を持って青年に訴えかける。解剖という行為によって再生、recreationされる人間の姿。死ぬことによってはじめて再生される人の姿。それは青年だけでなく、周りの人たちにも静かに深く刻み込まれることになる。

大学をはじめ、「人」が住むところはあえてコンクリートずくめの無機的な空間にして、外には雨が降り、水が流れ落ちている。そして甘美な記憶はより一層、自然や木々に囲まれ有機的なものに満ちてくるという対比がとてもスムーズに切り替わります。

都市と肉体をいつもテーマに持ってきて『六月の蛇』で水を効果的に使い、無機質なものに囲まれて狂気の淵に立つものは雨に打たれながら救われる。

そういうテーマを今回は人体解剖という設定にして、また緻密に人間の内部をスケッチすることで、肉体というものの限界を見せる。

肉体は常に「水」がなければ生きていけない、水がなくなったらコンクリートのように、火葬された人骨のようにそれは、「意識」というものを失う。これは「水分」の映画だと思いました。現実に生きている人間よりも、解剖により記憶によみがえった人間の方がより肉感的なんです。

現代の人間に絶望しているともとれるし、人間の無意識の奥深くをのぞいているような気もします。

青年役の浅野忠信が、人体解剖をする内に、正常に戻っているのか、狂気に走っているのか、わからないどっちともとれる表情と目の光りがただ者じゃない、と思いますね。 

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