レイクサイド・マーダーケース

レイクサイド・マーダーケース

2005年1月15日 イイノホールにて(試写会)

(2004年:日本:118分:監督 青山真治)

最近、特に日本映画を観るときに、ストーリーがどうのこうのよりも、出ている役者さんの演技や監督の個性、特徴なんかをメインに楽しんで観ているような気がします。

青山真治監督が、東野圭吾のミステリを映画化ってちょっと信じられない気がしたのですけれど、起承転結はっきりさせていますが、やはり、犯人は○○だ!といった白黒つけるような映画にはしていないですね。

そこがすっきりしなくて不満という声が出そうな気もしますが・・・、それでも青山真治監督、随分「わかりやすく」しています。

子供の中学受験のために自主合宿を湖畔の別荘で行う3組の親子。そして雇われた塾の教師。

並木(役所広司)は、妻(薬師丸ひろ子)と不和で別居中でも、そのことを隠して合宿に参加する。

他の親たちは医者(柄本明)や会社の重役(鶴見慎吾)などで、お金持ち有名私立中学に子供を是非入れたいと熱心だけれども、並木だけは、受験というもののゆがみに納得いかず浮いた感じ。

そしてお受験合宿が始まると、「家庭なんか壊す気ない」とうそぶいていた並木の愛人が別荘を訪れ、場をひっかきまわし、翌朝殺される。

親たちは、とにかく受験が大事、表沙汰にしないで、隠蔽しようと暗黙の内に了解が出来てしまう。

並木は1人反発しますが、何分隠していた自分の愛人が殺されてしまったのだから立場が弱い。

そういう力関係の表し方の上手さ、が光っていますね。そして「子供のために、子供の将来のために・・・」と悪の常識を貫こうとする他の親にひきずられていってしまう。

一言に正義、といってもそこには一種の硬直した怖さというものがあります。

正義の為には犠牲がいる。親たちは自分たちが正義の犠牲になることを必死で避けようとあがく。「愛人なんか作ったあなたが悪い、どうして関係ない私たちがそれに巻き込まれなければならないのか」・・・しかし愛人を殺した人物はこの別荘の中の人なんです。それは誰か。

医者である柄本明が隠蔽のリーダー的な存在なのですが、何故わざわざ辛い目を選ぶのか・・・正義の犠牲になるということはどういう事なのか、反発する並木に時に穏やかに、時に怒鳴りつけて言い聞かせます。

それがものすごく説得力あって、ダークサイドの迫力。

役所広司VS柄本明というのは、対照的な2人ということで『油断大敵』『ドッペルゲンガー』などでも様々な対立する立場を演じていますけれど、今回は圧倒的に柄本明が強い。正しいかどうかは別として説得力と行動力がある。

そんな親たちを尻目に知らん顔している塾の教師、豊川悦司の醸し出す冷たさ・・・が後半じわじわと親たちの葛藤に入り込んでくる。

豊川悦司は、こういうインテリで冷たそうで、何考えてるかわからないというキャラクターがとても上手いですね。冷たい横顔が印象的。

自分自身がその受験学校の卒業生で、お辞儀の仕方からなにから完璧な教育を受けてきているという身のこなし。

ミステリでいうとレッドへリング(容疑者)の泳がせ方とか、ミステリの基本的な所はきちんと押さえた上での、親や大人の利己主義のぶつかり合いをきちんと見せています。特に、並木の妻、薬師丸ひろ子の「私の子供なんだから!」としか言わない頑固さや執拗さが、気持ち悪いほど真に迫っています。

ストーリーや台詞だけでなく、撮影も湖畔の風景他とても綺麗だし、冒頭、並木の職場で撮られる写真のイメージがいつまでもつきまとう、といった映像的なこだわりがよくわかりますね。パンするときもゆっくりだったり、コマ落としのようにさっとパンしたり、心象風景をさりげなく映し出しているカメラワークや、画面の奥行き、人物の立ち位置などとても計算されています。

最後まで観てみると東野圭吾の世界と青山真治監督の世界って共通点があったのだなぁ、とわかりますが、青山監督としてはもっと映像凝りたかったのではないか、という思いも残りました。

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