ネオ・ファンタジア
Allegro Non Troppo
2005年1月13日 東京都写真美術館ホール
(1976年:イタリア:85分:監督 ブルーノ・ボツェット)
ディズニーがクラッシック音楽とアニメーションを合体させた『ファンタジア』を作ったのは1940年。
1940年にこのアニメ技術があった凄さというのは、わかるのですが、リバイバル公開を観た中学生の私は観ていて疲れてしまったのをよく覚えています。
それから数年後に、この『ネオ・ファンタジア』が日本で公開された時、興味があって行くかどうか、考えた記憶もあります。
結局行かずに○○年、まさか今、リバイバルされるとは思いませんでした。結果的には、今の年齢で観た方がその深さがよくわかって良かったのでした。
選曲されたのは6曲。
①「牧神の午後のための前奏曲」(ドビュッシー)
②「スラヴ舞曲第7番」(ドヴォルザーク)
③「ボレロ」(ラヴェル)
④「悲しみのワルツ」(シベリウス)
⑤「ヴァイオリン協奏曲ハ長調」(ヴィヴァルディ)
⑥「火の鳥」(ストラヴィンスキー)
そして映画は、実写でこの映画の案内人らしき男性が、カメラに向かってこのアニメ映画の説明をします。「え。もうアメリカの誰かがもう同じことをやっている?知らないね」というとぼけぶり。
そして演奏する楽団が、地下に押し込められた老女達。バスにつめこられて、羽根飾りや化粧でゴテゴテになった老女たちは、演奏の合間は編み物なんかしちゃう。指揮者はエキセントリックな大男。そして、さぁ、演奏にあわせて絵を描け!と地下牢からひきずりだされたアニメーターの男。
曲の合間にこの人物たちのブラックでシュールなドタバタ喜劇が繰り広げられます。(一曲ごとに老女がひとりずつ消えていく・・・)
アニメの絵は、水彩インクで彩色した軽い色合いで、とても目に優しいけれど、繰り広げられる世界は、皮肉とパロディと毒に満ちた笑いの世界。
私が特に気に入ったのは、まず③の「ボレロ」。
指揮者がアニメ作家から取り上げて放り投げたコカコーラのびんが、とある惑星に落ちてくる。その泡がボレロのリズムにあわせて動き出す。
そして生物となり、恐竜となり、進化をとげてゆく・・・ずるがしこい類人猿の登場です。
これは明らかに『ファンタジア』のストヴィンスキーの「春の祭典」のパロディですね。恐竜時代をアニメで描いていて一番疲れるパート。
しかし、こちらはボレロのずんたかったった、ずんたかったった・・・という繰り返しの音楽に合わせて、生き物が、恐竜が行進していく。行進しながら進化して現代までいってしまう。
ボレロの曲って行進にぴったりだったんだ・・・という発見と、なんとも可愛らしい動きを見せるかと思うと、驚くべき瞬発力で一瞬で進化を見せるといった技あり!
そして④の「悲しみのワルツ」
無機的なビルの谷間にぽつんとある廃墟。そこには一匹の猫がいる。
曲にあわせて猫の大きな黒い瞳に次々に映るのは、この廃墟がかつて自分の家であり、可愛がってくれた人たちの姿。暖かで豊かに暮らしていた自分。
捨てられた哀しさと、幻想を見た時の嬉しそうな表情がなんとも切ない。
猫の仕草が細かくて猫らしさが一杯。そしてその廃墟をこわす大きなブルトーザーの登場で曲は終わります。
他の曲もそれぞれ、ポップだったり、神話の世界だったり、キリスト教のパロディだったり・・・変化に富んでいて、アニメの動きが曲にぴったりあっています。
映画の中の演奏は老女たち、ですけれど、実際、演奏をしているのはあのヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団という「本物」
そのユーモア精神がまた粋で、ディズニーの『ファンタジア』よりもこちらの方が選曲を含めて楽しめる、クラッシック・アニメーションでした。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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