ニュースの天才

ニュースの天才

Shattered Glass

2004年1月12日 銀座シネパトスにて

(2003年:アメリカ:94分:監督 ビリー・レイ)

虚実皮膜、という言葉があります。事実と虚構の微妙な接点に芸術の真実がある、といった意味です。

しかし、ジャーナリズムにそれは通用するのでしょうか・・・。

この映画は、アメリカで実際に起きた政治雑誌「The New Republic」で若いジャーナリストが、記事を捏造していたことが後に発覚して大騒ぎになったという事件をもとに描いています。

若いジャーナリストの中で最年少のスティーブン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)という青年。

彼が次々と発表する記事は人気になり、またその性格から周りの人にかわいがられている様子。

冒頭、編集部のオフィスの中を靴をはかずにぺたぺたと歩きまわるスティーブンの足元のアップ。

女の人には親切で細かい気配りができる、口癖は'I'm sorry'(ごめんなさい)と'Are you mad at me?'(怒った?)

上司からも同僚からもかわいがられて、出身高校のジャーナリズムのクラスのゲストとして、「ジャーナリストとは?」といったことを得々と話すスティーブン。人気者になっても謙遜した態度をきちんととれる青年。

しかし、編集長が替わったことから、ある記事が全て事実無根のでっち上げではないか・・・という疑問が出てから、スティーブンの弱さが、仮面をはがすように暴露されていきます。

もと同僚だった編集長チャック(ピーター・サースガード)の立場は微妙です。もし、捏造が発覚すれば重大な責任をとらなければならない。これは小説雑誌ではなく、社会問題を取り上げて、論ずるのがモットーの政治雑誌だからです。

どんどん嘘の証拠が出てきても、「本当のことを書いた」と言い張るけれど、次第にぐずぐずになっていくスティーブン。

最初は信じようとしたけれど、やはり嘘は許されない、責任をとると決心を固める編集長。2人の思惑が交差します。

派手さにお金をかけていない映画で、ある記事を追う人間関係なのですが、編集長チャックは「つまらない人間」と言われながらも、ジャーナリストの志を貫く姿の後半、ピーター・サースガードがどんどんよくなってきます。

スティーブンが欲しいのはお金ではなく、名誉であり、後々はピューリッツアー賞がとれる!という背伸びした虚栄心を満たすもの。

そして恐れるのは周りからの「軽蔑」なんですね。

全てが発覚したときの、ピーター・サースガードの蔑んだ目が凄く、それを見たスティーブンの壊れ方が静かだけれどスリリングです。若者のもろさ爆発。

チャックが「スティーブの書いたものは、面白かった(・・・entertain)からだよ」と言いますが、ここにニュースを伝える者のつらさがわかります。

確かに、品位を保つことは必要だけれども、同時に読者を引き込むような、売れる雑誌にしなければならない、その難しさ。

スティーブンは、嘘をでっち上げた、しかしそれは読者を喜ばせたという事実と、それだけの文才があったという証拠でもあります。

スティーブンは最初から創作の世界にいればよかったのかもしれません。しかし志はジャーナリスト。その亀裂にはさまれてしまって保身の為に嘘を塗り重ねていく醜い姿をさらけ出さなければならない、そのジレンマをよく描き出していました。

話はちょっとずれて、毎日のようにテレビでは、旅番組というのが放映されています。

タレントが温泉などに行って、観光して、温泉に入って、美味しい物を食べる・・・という番組ですね。

温泉があるのも事実、美味しいお店があるのも事実、なんですが、必ずわざとらしい演出も欠かせません。

タレントが歩いていて偶然、こんなお店がありました!といった演出や感傷的なナレーション。それはこういう演出を視聴者が求めているからなのでしょうね。求められているものを、事実を見せながら演出して面白くする。

わかりやすくて面白い事実・・・それを読者や視聴者が求めているのならば、当然作り手もそれに応えるような物を作ります。

それが当たり前、お約束になっているような誰も何も疑わない世界。

スティーブンのしたことは、ジャーナリストとしては失格かもしれませんが、この旅番組的なことには「天才」だったのだろう、と思います。嘘つきと一言で斬るよりも、この日本語タイトル『ニュースの天才』は、スティーブンの皮肉な分析になっていてこちらの方が的を得ているような気がします。

Shattered Glass

2004年1月12日 銀座シネパトスにて

(2003年:アメリカ:94分:監督 ビリー・レイ)

虚実皮膜、という言葉があります。事実と虚構の微妙な接点に芸術の真実がある、といった意味です。

しかし、ジャーナリズムにそれは通用するのでしょうか・・・。

この映画は、アメリカで実際に起きた政治雑誌「The New Republic」で若いジャーナリストが、記事を捏造していたことが後に発覚して大騒ぎになったという事件をもとに描いています。

若いジャーナリストの中で最年少のスティーブン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)という青年。

彼が次々と発表する記事は人気になり、またその性格から周りの人にかわいがられている様子。

冒頭、編集部のオフィスの中を靴をはかずにぺたぺたと歩きまわるスティーブンの足元のアップ。

女の人には親切で細かい気配りができる、口癖は'I'm sorry'(ごめんなさい)と'Are you mad at me?'(怒った?)

上司からも同僚からもかわいがられて、出身高校のジャーナリズムのクラスのゲストとして、「ジャーナリストとは?」といったことを得々と話すスティーブン。人気者になっても謙遜した態度をきちんととれる青年。

しかし、編集長が替わったことから、ある記事が全て事実無根のでっち上げではないか・・・という疑問が出てから、スティーブンの弱さが、仮面をはがすように暴露されていきます。

もと同僚だった編集長チャック(ピーター・サースガード)の立場は微妙です。もし、捏造が発覚すれば重大な責任をとらなければならない。これは小説雑誌ではなく、社会問題を取り上げて、論ずるのがモットーの政治雑誌だからです。

どんどん嘘の証拠が出てきても、「本当のことを書いた」と言い張るけれど、次第にぐずぐずになっていくスティーブン。

最初は信じようとしたけれど、やはり嘘は許されない、責任をとると決心を固める編集長。2人の思惑が交差します。

派手さにお金をかけていない映画で、ある記事を追う人間関係なのですが、編集長チャックは「つまらない人間」と言われながらも、ジャーナリストの志を貫く姿の後半、ピーター・サースガードがどんどんよくなってきます。

スティーブンが欲しいのはお金ではなく、名誉であり、後々はピューリッツアー賞がとれる!という背伸びした虚栄心を満たすもの。

そして恐れるのは周りからの「軽蔑」なんですね。

全てが発覚したときの、ピーター・サースガードの蔑んだ目が凄く、それを見たスティーブンの壊れ方が静かだけれどスリリングです。若者のもろさ爆発。

チャックが「スティーブの書いたものは、面白かった(・・・entertain)からだよ」と言いますが、ここにニュースを伝える者のつらさがわかります。

確かに、品位を保つことは必要だけれども、同時に読者を引き込むような、売れる雑誌にしなければならない、その難しさ。

スティーブンは、嘘をでっち上げた、しかしそれは読者を喜ばせたという事実と、それだけの文才があったという証拠でもあります。

スティーブンは最初から創作の世界にいればよかったのかもしれません。しかし志はジャーナリスト。その亀裂にはさまれてしまって保身の為に嘘を塗り重ねていく醜い姿をさらけ出さなければならない、そのジレンマをよく描き出していました。

話はちょっとずれて、毎日のようにテレビでは、旅番組というのが放映されています。

タレントが温泉などに行って、観光して、温泉に入って、美味しい物を食べる・・・という番組ですね。

温泉があるのも事実、美味しいお店があるのも事実、なんですが、必ずわざとらしい演出も欠かせません。

タレントが歩いていて偶然、こんなお店がありました!といった演出や感傷的なナレーション。それはこういう演出を視聴者が求めているからなのでしょうね。求められているものを、事実を見せながら演出して面白くする。

わかりやすくて面白い事実・・・それを読者や視聴者が求めているのならば、当然作り手もそれに応えるような物を作ります。

それが当たり前、お約束になっているような誰も何も疑わない世界。

スティーブンのしたことは、ジャーナリストとしては失格かもしれませんが、この旅番組的なことには「天才」だったのだろう、と思います。嘘つきと一言で斬るよりも、この日本語タイトル『ニュースの天才』は、スティーブンの皮肉な分析になっていてこちらの方が的を得ているような気がします。

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