火火

火火

2005年1月11日  銀座ヤマハホールにて(試写会)

(2004年:日本:114分:監督 高橋伴明)

モデルとなった神山清子さんはプロフィールを見ると色々な陶芸家に師事していますが、映画は独り立ちして自分の窯を持った所から・・・始まります。

清子役の田中裕子は女優捨ててます、という血気せまるものあります。母として苦しむ所もありますが、剛胆で胆がすわっている様子、借金がチャラになったときに歌って踊る姿。節くれ立った指。土をなめながら陶芸に打ち込む姿などなど。薪のくべ方ひとつをとっても腰が入っているというか・・・

まず夫が去り、父、母、陶芸家としての役目を果たしている、そんな中、成人した息子健一が、骨髄性白血病で倒れる。そして骨髄バンクの創立にも力を注ぐ・・・という訳で普通の人の何倍もの「人生同時進行」なんです。

健一が病気になってからの病院治療のあれこれが、とてもリアルで痛々しい。あえて映画の「きれいな夢」を選択せずにリアルな姿を描きたい、訴えたいという意図があるのでしょう。また骨髄バンクの持続の限界というものも訴えかけていますね。

難病にかかってしまった健一もつらいけれど、それを見守る母や周りの者のつらさもまた大変なもの。でも気弱になりそうになると、叱咤する厳しさと、骨髄バンクの創立に頭を下げて歩く息子を思う姿と、陶芸に打ち込む姿と・・・私たちは映画として色々な面を見られるからわかるのですが、多分身近な人ほどある一面、しか目につかないのではないでしょうか。

それが陶芸を嫌って家を出た長女(遠山景織子)の言葉。「孫が出来たというのに、お年玉やろうとも思わないの?健一には何千万も金を使ってるくせに」・・・それに対する母の答えっていうのが凄いのですけれど。

都合のいいときだけ、「家族だから、家族なのに・・」とべたべた依存してくるのがリアルだし、それをきっぱり拒絶する姿が潔い。

それでも窯元の1人、岸部一徳は言葉にはしないけれど、全てを理解して、清子を影で支える頼もしさ。そして清子の妹の石田えりの明るさ。明るいからこそ切なくなる部分っていうのも大きいことも見せています。

そういうものを目をそらさず真っ正面から見つめている目というのが、胸を打つ反面、しんどさを共有することにもなります。

しかし、清子が窯の前に立つ時の姿だけで、これからのやるべきこと、を一目で見せてしまうラストの力強さは秀逸です。

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更夜飯店

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