1リットルの涙
2005年2月22日 テアトル池袋にて
(2004年:日本:98分:監督 岡村力)
これは木藤亜也さんという25歳で脊髄小脳変性症で亡くなった人の映画化です。
脊髄小脳変性症というのは、原因不明なので治療法がない・・・という絶望的な病気なんですね。
中学3年生で発病して、高校に受かったのにやむなく養護学校へ転校・・・ということになってしまうのですが、病気が進行していく様が、亜也役の大西麻恵が、『オアシス』のムン・ソリ並みの演技力で見せるのです。
最初は体のバランスがとれない、歩けなくなる、立てなくなる、話せなくなる、文字がかけなくなる・・・そんな課程が丁寧に描かれていますね。それを「可哀想」という視線ではとらえていないのがこの映画の一番の魅力。
普通高校だとまだ友達が助けてくれる、でも、養護学校に入ったら楽になるか、といえば反対。障害を持っていても自立をするための厳しい訓練生活が始まる訳です。
中でも鬼寮母と言われる先生は、とにかく厳しい。中には「私たちは障害を持っているのに、何もしてくれないの?」と怒る子も出てきます。
この「私は可哀想なんだから、親切にしてくれてもいいじゃない」という気持ちって普通の人にもありますね。同情してよ、という依存してくる人。確かに、出来ない事は助けが必要なんですが、出来ることまでやってあげてしまったら逆に本人の為にならないのです。その辺のさじ加減というのは本当に難しいです。人と人との接し方の難しさのひとつです。
また、主治医も「私は結婚できるのか?」という問いにははっきり「出来ないと思う」と告げます。18歳の女の子には、ちょっと酷な言葉かもしれませんが、「きっといい人いるわよ。縁があるわよ」なんて慰めは後々のことを考えれば、逆に酷なんです。
それをはっきり言う医師の勇気。亜也もそう言われてショックは受けても、結果的には自分の今後を冷静に考えることができるのです。
亜也は、自分に出来ることはないのか?といつも考えています。そしてとにかく日記をつけること、書くこと、それを続けます。
しかしそれも不可能になってきます。本人もつらいけれど、見守る家族も辛いですね。そこの所はあまり描きません。でもよくわかるのです。
可哀想な自分に溺れることがない亜也ですが、車椅子さえ動かせなくなったときに「車椅子、ごめんね、上手く動かせなくて」という台詞をさらっと言いますが、この言葉がこの映画をよく表していると思います。
泣かせよう、泣かせようという過度な演出は一切ありません。だからこそ、この映画のタイトル「1リットルの涙」の重みがでるんですね。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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