事実と反論
Facts and Arguments
2005年3月10日 渋谷シアターイメージフォーラムにて(韓国インディペンデント映画2005)
(2004年:韓国:7作品 89分)
今回の韓国インディペンデント映画2005で上映されて『20のアイデンティティー』がフィクション性が高いならば、こちらはドキュメンタリータッチの短編集です。
キム・チョングク監督の『ランナーが孤独を愛するとき』はドキュメンタリータッチながらも最後は予想外の展開をぱっと見せる鮮やかさがあります。いわゆる開かずの踏切で足踏みしながら、開くのを待っているジョギング・ランナーの男。
踏切は一向に開かず、リアルタイムで電車が行ったりきたり・・・をじっと見ています。カメラは固定で、こんな状況でなにが起こりえるのだろう・・・という??を脱力とユーモアとインパクトで一瞬で見せてしまいます。
チョン・スヨン監督の『春を待ちながら』は、自分の祖母とその妹・・・祖母は韓国、妹はアメリカ・ロサンゼルスに居て、そのビデオレターを作ってあげるうちに・・・姉妹の持つ距離というものを見事に描き出しています。祖国韓国にいても、豊かな国アメリカにいても寂しいと思う気持ちを持つことへの疑問と孫なりの解釈。
妹のビデオレターをもう一回観る・・・と何度も見たがる祖母の姿を通して、女性の生き方を考えている若い女性、現代っ子である孫の姿があります。
ソン・クアンジュ監督は女性ながらアメリカで映像を学んだ人で、『第三言語』と『パンク・イーク』はどちらも「外から見た韓国のアイデンティティーのゆらぎ」というものを切り取っているようです。
『第三言語』は英語の事なのですが、それを「怯える子供たち」という表現を執拗に繰り返し、イメージ映像をはさみながらも静かに英語を母国語としない国のあり方・・・みたいなものをすくい取っています。
『パンク・イーク』は、ちょっと気取った大学教授の青年がこれから女性に会いに行く・・・きっとクラッシック音楽の話になるだろう・・・と思い、車の中であれこれシミレーションをしている。クラッシック音楽の特徴と歴史を韓国の歴史とダブらせて、見せてしまう。ゴダール的な映像エッセイ的な要素があちこちに見られます。唐突に切り替わる場面、またつながって、えんえんと考え込む男、周りには風刺に満ちた人物たちが、あれこれ口を出すのは、男の心象風景なのでしょうか・・・しかし、実際女性にあって、シミレーションばっちりだと思ったのに!!嗚呼・・・・というがっくりさがなんとも皮肉で可笑しい。
どれも映像世界に凝っているもので、ドキュメンタリータッチなので撮っている側の視線が痛いほどよくわかる短編集でした。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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