苺の破片<イチゴノカケラ>

苺の破片<イチゴノカケラ>

2005年3月2日 渋谷 アミューズCQNにて

(2004年:日本:91分:監督 中原俊、高橋ツトム)

とても「女の子らしい」映画だと思います。少女趣味というのではなくて、女というより女の子の持つ悩みが、そのまま放置されて12年・・・大人になってしまった「もと女の子」2人の繊細な映画です。

15年前の『櫻の園』の続編話ではないのですが、出演者だった2人の女優、宮澤美保と梶原阿貴が企画と脚本を立ち上げて、『櫻の園』の監督だった中原俊と漫画家の高橋ツトムが監督をしたので、雰囲気はとても似ていると思います。

売れっ子漫画家でも今は落ち目の猫田イチゴ(宮澤美保)、そのマネージャーの知子(梶原阿貴)。

イチゴは『チェリー・ロード』という青春恋愛漫画で一世を風靡したおかげで、かろうじて「先生扱い」されているけれど、自分でももう『チェリー・ロード』を超える漫画は描けないとわかっている。

それは編集者として、知子も十分承知であぶなっかしい2人の関係。

しかし事故で臨死体験(?)して『チェリー・ロード』のモデルとなった死んでしまった楠瀬先輩と海辺で出会ったイチゴは、周りの勧めもあって『チェリー・ロード』の続編を描き出す。しかし、それは読み手を全く意識していない「自分だけの願望」の世界で、どこからも拒否されてしまう。自分の満足だけでは世間には通用しないという厳しさとプライドがどんどん傷つけられていくイチゴ。

前半のイチゴがのうのうと金銭感覚なく遊びほうけて、本当にやらなければならないことから逃げ回っている、しかも上手くいかないことは全て他人のせい、とむくれまくる「子供っぽさ」と後半の過去から脱却して、成長してどんどん登りつめて昇華していく様がとても、綺麗に正直に描かれています。

離婚したのか、死別したのか・・・わからないけれど、幼い息子を育てながら、イチゴを見守る知子の辛抱強さ。同僚の編集者からもうイチゴを見放して、別の編集をすれば・・・と忠告されても頑なにイチゴのそばにいる。

何も言わずに、わがままなイチゴを見守って・・・という2人の女性の対比のさせ方がいやらしくないんですね。

イチゴのいきつけのバーのママ、カルーセル麻紀が「あなたの仕事は、自分の身をけずって、けずって、その破片を集めていくことでしょう」ということを弱音を吐いて甘えるイチゴにぴしゃり、と言います。

漫画でも、仕事をするということは自分の身をけずること・・・自分から出た破片はその人だけのもので、誰にも真似できないものを持つ。身をけずることを恐れていて、どうするのだ、という言葉が痛いです。

そして過去に決別するために2人が訪れる海辺。それはイチゴが臨死体験で観た風景。その風景を観ても、過去と決別した、イチゴの表情はうしろを振り向かない強さが出てきています。そこら辺が観ていて気持ちいいのですね。べたべたしていなくて。

綺麗な風景をきちんと撮っているし、焦点をイチゴと知子の2人にしぼったところがこの映画のいいところで散漫感がなく、すっきりきっちりした映画になっています。

これからの2人は、どうなるのだろう・・・という余韻を残して、元ちとせの「この街」の曲が流れ、ラストにタイトルが出るという余韻の持たせ方もとても上品に終わらせているところがいいですね。何を描いたとしても下品さがないというのは高度なテクニックがいると思います。

0コメント

  • 1000 / 1000

更夜飯店

過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。