エレニの旅
Trilogia : To Livadhi Pou Dhakrisi(Torilogy : The Weeping Meadow)
2005年4月29日 日比谷シャンテシネにて
(2004年:ギリシャ=フランス=イタリア=ドイツ:170分:監督 テオ・アンゲロプロス)
ー君が手を伸ばして、葉に触れ、水滴がしたたった・・・・。地に降る涙のように。ー
テオ・アンゲロプロス監督の映画を観ると何故、無垢な気持ちになるのだろうか・・・としばらく考えてしまいました。
良かった、面白かった、楽しかった、泣けた・・・そんな感情を通り越して、「無垢」な気持ちになってしまうのです。
見終った後、自分が真っ白い布になってしまったような、なにもかもが始めの振り出しに戻ってしまったような・・・どんな現代ギリシャの姿を描いたとしても、新鮮に具体的に受け止められて、それがすんなり自分の中にしみこんできて、流されて、なくなってしまい、何故か全身が「なにもない状態」になってしまったかのような気持ち。
アンゲロプロス監督の映画は、旅に出る。『旅芸人の記録』の旅芸人たちは、ギリシャで何が起きても、旅を続けて芝居をする、『ユリシーズの瞳』では、アメリカ人の監督(ハイベイ・カイテル)が幻の映画フィルムを求めて、ギリシャを彷徨う、『霧の中の風景』では幼い姉弟は父に会うために旅に出る、『こうのとり、たちずさんで』は主人公は家、家族を捨てて、国境の難民のキャンプに身をひそめる。
安住、安定を捨てて彷徨う人々。また、安住の地から拒絶されて彷徨う人々。それをカメラは、静かに凝視する。歩いていても、列車に乗っていても、その姿をじっと見つめている。
しかし、その過ぎ去っていく風景は、永遠を表すかのように不動です。
今回の『エレニの旅』では、1919年ロシアの革命を逃れてきた人々が、ギリシャに作った村、そこからまた逃げて逃げて行く女性、エレニを追っていきます。
また作った村は、水没する。そのシーンのために2年かけたというこだわり。アンゲロプロス監督は、本物を作って、沈めてしまった。
エレニというのはギリシャということで、原題にもあるようにこれはギリシャ現代史三部作の第一部です。
戦争で、革命で家族を失って「もう、思う人がいなくなった」と嘆くエレニはギリシャの嘆きでしょう。
この映画がとても印象的なのは最後が沖縄につながるということです。ギリシャから離れてアメリカに旅立った夫、アレクセイは従軍して沖縄からエレニに手紙を書く。その手紙の最後の文章が冒頭の「~地に降る雨のように」です。
ギリシャから沖縄へ・・・・旅はまだまだ続きます。
監督の言葉を引用するとこの三部作は、「王国と追放」「ユートピアの終焉」「永遠の帰郷」・・・もっと散文的に「嘆く草原(Weeping Meadow):本作」「第三の翼」「帰還」というタイトルになるのだそうです。
神話として王国を追放されたエレニを描き、次はどんな世界になるのか・・・まだまだアンゲロプロスの旅は続くわけです。
しかしその旅に終りはない、と思うのですが。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
0コメント