真夜中の弥次さん喜多さん

真夜中の弥次さん喜多さん

2005年4月13日 新宿ジョイシネマ2にて

(2005年:日本:124分:監督 宮藤宮九郎)

この映画は、「わざとはずしている映画」だと思います。原作のしりあがり寿の世界でもあるし、今までの宮藤宮九郎のオリジナル脚本の世界でもあります。

あまり面白くないことを、面白いと勘違いしている人を見ているのが面白い・・・という傍観者的無責任で素直じゃない世界、つっぱしり。

これを、まともに「面白くないじゃないか」といって怒る人はたくさんいると思われます。その傍観者的な無責任の姿が見えないよう実に工夫してあるからです。怒ってしまった人は逆に宮藤宮九郎の思う壺、ジャスト・ミートって訳です。

これは『木更津キャッツアイ』で、キャッツアイの男の子たちがいつもハイテンションで、何でこんなにいつもわぁわぁ、盛り上がっているのか、さっぱりわからない人にはわからないのと同様。

だから弥次さんこと長瀬智也はアイドル捨てて壊れて暴走するし、喜多さんこと中村七之助は、どうしようもないヤク中で、弥次さんに依存している割には、ひがみっぽく、よれよれ、ふらふらしてる。

お伊勢まいりの旅に出る弥次さん喜多さんを、待ち受ける様々な関所や宿。笑いの宿、喜びの宿、歌の宿、魂の宿・・・その宿に出てくる人がまた、もの凄い豪華キャストで遊んでいます。

ただひとりよがりで遊んでいたら、目もあてられないのでしょうが、映画『GO』『ピンポン』の脚色をしてきちんとした事もやり、人気のテレビドラマの脚本を何本も書き・・・そしてやりたい世界を出したのがまず、『木更津キャッツアイ』のオリジナル脚本だったのですが、さらに自分が監督するということで、いい加減を自称しながら、中途半端を半端でなく暴走させているところが私には爽快でした。

次々と出てくる俳優さんの使い方もお馴染みの人もいれば、こんな人まで・・・と絶句する人までいます。

私が好きなのは、阿部サダヲ&柄本佑の「きんきん(金々)&のんのん(呑々)」の馬鹿馬鹿しさ。こういう役は阿部サダヲは得意なんですけど、まさか柄本佑が嬉しそうに「はいはい、のんのんでございます」ってやってるのには驚きました。翔さんのかわりは力さん、という凝り方。

なによりも映画には娯楽を求めている、と言いながら、結局、その娯楽に気がつかないで怒ってしまって、映画のせいにする人いるんです。

それはその人の感性が違うだけで、映画のせいではないのです。それほど映画は甘くもないし、いい加減でもない。

その前に自分にとっての娯楽は何か、をよく知って、宣伝なんかに振り回されず、映画を選ぶ目を持ってから辛口批評なり酷評なりして欲しいです。ただの不平不満、悪口は、辛口批評じゃありません。うすっぺらな不平不満、悪口を笑い飛ばす・・・それがこの映画です。

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