隣人13号
2005年4月12日 渋谷シネクイントにて
(2004年:日本:115分:監督 井上靖雄)
ホラーというものが、恨みや怒り、悲しみ、嫉妬、悔しさ、不安といった負の世界をいかに見せるものだとしたらこの映画は正しいホラー映画だと思います。
ただ血や残虐性を見せるだけだったら、それはスプラッタというべきだというのが私の中でのホラーとスプラッタの違いです。
負の世界の行く先が血や残虐性だったりしますから、はっきりとした線引きというのはない訳ですが。
この映画には負の感情がみっしり詰まっています。コーヒーでいうとアメリカンではなくエスプレッソをまた鍋に戻してぐつぐつ煮詰めているような高い温度と密度の濃さ。
しかもこの映画は、とても狭い空間の中でくりひろげられます。
主人公、村崎十三(小栗旬)が引っ越してきた古いアパートの部屋、トイレ、また過去の傷となる学校という閉ざされた場。心象風景として出てくる小屋。
一見おとなしくて無害そうに見える青年、十三のもう一人の分身、ひとりの人間の負の世界を体現している隣人13号が、中村獅童、そして十三を追いつめた赤井という男が、新井浩文、妻が吉村由美。
こういう濃い世界では、役者はそれに耐えられる演技の力がないとダメなのですが、その点、この4人はとても力あり。
特に小栗旬、中村獅童、新井浩文の表情の煮詰まり方って映画ならではの迫力です。
ふたりでひとり、の小栗旬と中村獅童って背丈、体つき、などそっくりです。特撮使って、ひとりで2役演じさせた『ドッペルゲンガー』との違いなのですが、分身、中村獅童はあまりひんぱんに出てこないかわりに意外な所に潜んでいる。
その出し方がまたこれみよがしではなくて、いつ出るか、いつ出るか・・・と目が離せなくなってくる上手さでしょう。
これはいじめに対する十三の復讐ですが、赤井が「なんでそんな昔のこと・・」と絶句する所がありますが、この「もう昔の話なんだから」という言い分は、被害者には全く通用しない。実際、子供の頃、いじめの限りをつくした赤井は大人になっても、なんらかの形でその基本的な部分は、変わっていないのです。
しかし、これはひとりの人物がひとりの敵に敵討ちをする話ではないので、「いじめ」というのは今回のひとつのモチーフであって、人間の負の世界の深さをのぞきこむ、そんな終り方をしている所が単なる復讐劇ではなくしています。
原作は漫画ということで、もう少し明解な答えというものを出しているのでしょうが、あえて映画は「深さをのぞきこむ」その瞬間で終わらせているところがとても映画的で好きです。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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