運命を分けたザイル
A Touch of the Void
2005年4月5日 新宿テアトルタイムズスクエアにて
(2003年:イギリス:100分:監督 ケヴィン・マクドナルド)
この日本語タイトルと予告編で見る限り、「2人の登山家が遭難。宙づりになった下の登山家。上の方はやむなく2人を結ぶザイルをぶちっ」
ですが、この映画の凄いところ、または核となるのは「ぶちっ」の後なのです。
1980年代、当時20代だった2人のイギリス人登山家、サイモンとジョーがペルーの前人未踏のシラウ・グランデ峰の西壁を制覇。しかし「遭難の80%はその下山で起きる」という言葉通りの事が起きてしまう。
極限の状態の中で上のサイモンは「ザイルを切る」という決断を下す。もう、下にいるジョーは生きられない・・・という判断。
一体、どうやって撮影したのかわからないほど、2人の登山家をヘリコプターで、遠景で、絶壁を登る姿をアップで、下から上から横から・・・・もうその撮影の迫力が凄い。セットや特撮でやらず、実際、ペルーのシラウ・グランデでオールロケしたというその映像から殺気がみなぎっているのです。
雪山の雪の様々な様子、クレバスの恐ろしさ、鋭い岩があり、困難極める状況のリアルさ。
そしてザイルを切られ、足を骨折し、食料、燃料・・・全てなくしてしまったジョーを襲う絶望。しかし、「登山家というのは常に冷静でなければならない」という台詞の通り、ジョーはある目標を立てながら、少しずつ「動いていく」
その課程が実に迫力。まわりを見回して、岩などを見つける。
そしてそこに「20分かけてたどりつこう。もし18分で行けたらとても嬉しい。20分で行けたら満足。22分だったらとても悔しい」
もう、これ。こういう状態で「嬉しいor満足or悔しい」なんて普通考えられますか?って思います。奇蹟の生還というより奇蹟の精神力。
しかし、ザイルを切る判断をしたサイモンの方も、精神的な呵責というものは、とても大きいです。見殺しといってもいい行動。
実際、生還したものの、サイモンはザイルを切ったことで世論のバッシングを受け、しかし、ジョーはずっとサイモンは登山家としての正しい行動をしたと弁護しつづけた、といいます。
究極の状態にある者が、どう追いつめられていくか、また、どういう状態になって精神力が発揮されるか、人間の極限をここまできちんと見つめてドキュメンタリーでなく、再現として描ききった貴重な映画。
更夜飯店
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