ベルリン、僕らの革命

ベルリン、僕らの革命

The Edukators

2005年5月18日 渋谷 ル・シネマにて

(2004年:ドイツ=オーストリア:126分:監督 ハンス・ワインガルトナー)

東西ドイツが統一されたらもう一つの国になってしまったかのような錯覚を起こしていました。

ところがこの映画を観ると、まだまだ旧東ドイツは戸惑っている・・・というのがしみじみわかるのです。

主人公の青年ヤンとピーターは、共産主義ってほどでもないけれども、資本主義になって金儲け、金持ちになった人々の家に不法侵入しては、家の中をごちゃごちゃにして、「ぜいたくは終りだ!」というメッセージを残す自称「エデュケーターズ(教育者たち)」

ピーターの恋人、ユールが借金からヤンとピーターのアパートに転がりこんできたことから、男2人と女1人の三角関係。

また、ピーター不在の時にヤンとユールがエデュケーターズをやったら、見つかってしまい、家の主を誘拐し、逃亡という話の転がり方が、とてもゆっくりしています。

それは、若者3人がすぐに状況判断できなくて迅速な行動がとれなくて、不器用、いつもモタモタ、なんとなくずるずる・・・で、そんな所が妙に正義や主義を振り回す革命家と違う、小物ぶり、普通の人々、がこの映画の特色です。

3人の若者が誘拐することになってしまう資産家の中年男性との関係も、街を離れて山小屋にこもる内に対話になって、お互いを知り合う結果になってしまうというとんがった部分がないのが、私は好きです。

ヤン、ピーター、ユールの3人の若者の家族というのは一切描かれないのですが、資産家の中年男性が「親の世代の代表」となってくるわけである意味、華々しく団体反抗行動、レジスタンス、学生運動が出来た時代の若者だった訳です。

なんだか、2人でちまちまと「革命」やってることのむなしさを実は、当人達もうすうすわかっているのを、目をそらしたくて、なんとか言い訳するのですが、かつて過激な若者だった中年男性は見抜いている。見抜かれて何も言い返せない今時の若者。

スピード感というものがない映画ですけれど、その分、若者の気持ちのゆらゆら=甘さが浮き彫りになっていました。

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