樹の海 JYUKAI

樹の海 JYUKAI

2005年7月13日 渋谷シネ・アミューズ・イースト(青)にて

(2004年:日本:119分:瀧本智行)

青木ヶ原の樹海が自殺の名所となってしまったのは、松本清張の『波の塔』という小説で主人公が最後にここに行き自殺したことなんだそうですって、いきなり自殺の話で恐縮ですが、私、知りませんでした。

まっちゃんこと松本清張の小説というのは、社会性があって、実社会への影響ってものがとても大きかったのは知っていましたけれど、こんなところでまっちゃんが・・・。

この映画、自殺を含めた死と対峙した真面目な映画ではありますが、「死を描いて、生きることを描いた」とか私は書きたくないんです。

そんなに簡単なひとことで済む内容、深さではないからで、本当に樹海のように深い映画だと思います。

私の見終わった後の正直な感想は「納得した」です。

4つのエピソード・・・台詞のひとつひとつが「なるほどなぁ」と納得の連続で、脚本がいいというより、なんてよくしぼりこまれて、練られた言葉なんだろう、撮影はなんて言葉で表せないもやもやしたものを、見事に映しだしているのだろう、ということです。

4つのエピソード

①池内博之編:借金取り立てをしているチンピラが債務者の女性から樹海に来たけれど・・・という連絡を受けて、携帯電話で話ながら樹海を彷徨う。

②萩原聖人編:組織に利用されるだけされて殺されて、樹海に捨てられた男が奇蹟的に息を吹き返してしまう。

③井川遙編:過去を捨てて、駅の売店で働いている女性。のがれられない過去から逃げたくて樹海に来る。

④津田寛治・塩見省三編:新橋の居酒屋で話をするサラリーマンと興信所の男。サラリーマンはいきなり記憶のない女性の写真を見せられる。

という訳で、この4つのエピソードで自分の意志で、樹海に来たのは井川遙だけです。死にに来る人たちを描いている訳ではなく、4つの話の設定や人物の立場はそれぞれですが、それがひとつの流れにつながっているのです。

その裏に流れるものってたくさんあると思うのですが、塩見省三の会話に出てくる怒りの台詞っていうのがこの映画の一番主張したい所なのでしょう。

そして、人が寂しいと思う時はどんなときか、寂しさは死ぬことで解消されるのか、自分がとことん追いつめられた時にどう切り抜けるのか、それはどうやって訪れるのか・・・私が一番、納得したのは「上っ面だけで浮かれている日本人同士のつながりってなんて希薄なんだろう」ということです。

津田寛治演ずるサラリーマンのエピソードで、2002年のサッカーワールドカップの対ロシア戦で日本が勝った時の喧噪というのが出てくるのですけれど、私自身、あの時の日本の浮かれようってとっても怖かったのです。

昔からサッカーが盛んで国を上げて熱心だった歴史を持っている訳ではないでしょ?あの時の日本のサッカーファンの人の多くって。

怖いと思ったのは、ワールドカップってそんなに大変な事なんですか?って私がある人に聞いたら「そうだよ!今、世界中が戦争しているんだよ!」って堂々と言い放った事ですね。ぞっとしたなぁ。

私サッカーなんて一度も見たことない!と断言していた女の人が次の週には「宮本はさぁ~~」とウンチクをたれている。

そして渋谷の街では、勝った時に知らない者同士がハイタッチをして歌を歌って・・・って騒ぎ。

一瞬の興奮状態から来るハイテンションの仲間意識。

この映画に出てくる人は、世間に踊らされて、または自分の欲望が抑えられなくて暴走して、世間の波に飲まれて、一種の一時的興奮状態の罰を受けてしまった人達で、つまり私たちが簡単に陥りそうな罰を体現しているだけなんだと思います。罪と罰の映画です。

だから、自殺というのはひとつのモチーフでしかなくて、その底にある人間の怖さ、脆さ、弱さ・・・そんなものをしっかり見つめている映画なんです。そしてそんなネガティブなもの、負のものから立ち直る為の解決法ではなくて一筋の光、つまり4本の光を見せるだけで終わらせているところが凄いと思うのです。

去年(2004年)東京国際映画祭で、日本映画ある視点賞で作品賞と、(津田寛治の演技に対して)特別賞を受賞したのですが、津田寛治だけでなく、他の人達も、「素」ではなくきちんとした演技力を試されてそれに応えた、という重みを感じます。

特に、唯一の女性のエピソードとしての井川遙は、抑圧されて期待に応えてきた子供が、道を踏み外してしまって今までの「期待への努力」が全部帳消しになってしまった「からっぽの人生」というのをとてもしっかり演じていました。

キャスティングの時に『tokyo.sora』に出演している井川遙がとても良かったから、出演を依頼した、というエピソードはこれまた納得で、空っぽ感の空虚な表情が、ただのかわいい女の子ではない、という事を実証しています。

この映画を観た人で、良かったと思った人はこれから他人に「死ぬ気になれば何でもできる」などという言葉は使えないでしょう。

死ぬ気になって頑張れ、なんて簡単な言葉を封じている映画。

パンフレットに載っていた塩見省三さんの言葉を借りれば「本当の意味で人に思いをはせることはできるが、人を思いやることは簡単ではないこともつくづく思い知る」のでした。

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