スタンドアップ
North Country
2006年1月11日 神保町 一ツ橋ホールにて
(2005年:アメリカ:124分:監督 ニキ・カーロ)
『クジラの島の少女』のニキ・カーロ監督が、アメリカの実話を映画化しました。
『クジラの島の少女』は、ニュージーランドの伝統文化をベースに男しか継承できない儀式に女の子が入りたい・・・でも入れない。そんな葛藤を描いていました。
この映画も設定は全く違うのですが、芯の部分は「男の世界に入ろうとして拒絶されても、めげない女性」なので、同じものを感じました。
前回が少女で、自然の風景を盛りだくさんに詩情性豊かに描いたのとは、ちがって今回は、ミネソタにある鉱山で働こう、というシングル・マザー(シャーリーズ・セロン)です。
2人の子供を1人で養う為に、お金の為に、過酷な鉱山の労働を選ぶ女性。しかし、荒っぽい男の世界では、女は邪魔、からかわれ、嫌がらせをされ、男性の職場を奪うな・・・と迫害までされる。
しかも、ジョージーという女性は、若くして子供を産んで、父をはじめ周りからは「尻の軽い女」という目で見られている。
ますます、からかいの種になり、それに反発しようとすると陰湿ないやがらせの連続です。
風景は、殺伐とした北の山に囲まれた鉱山。ブルトーザーが動き回り、鉱石がほこりをたてて、そんな中で、男性と同じ仕事をしよう、という所をとても丁寧に描いています。
とうとうジョージーは、セクシャル・ハラスメントと職場での女性の待遇の改善の訴訟を起こします。
『モンスター』で、別人のような女になったシャーリーズ・セロンは、今回も汚い役を体張ってやってます。
周りからの無理解に耐えながら、また、反抗期になりつつある子供の事を思いながら、歯を食いしばって、時には涙を流して、働き、戦う。
とてもストレートな映画で、笑えるような、ほっとするような場面はありません。
周りが皆、敵となっても、同僚の女性、フランシス・マクドーマンはALSという難病になっても、ジョージーを支える。そしてそのパートナーのショーン・ビーンもおとなしいけれど、周りに流される事なく、静かにジョージーを援護する。
確かに若い頃は、自由奔放だったのかもしれないけれど、母になり、離婚し、子供をかかえてしまった女性の強さ、というものを訴える力というものがとても大きいです。母としての自覚がとてもしっかりしている。
訴訟、裁判の様子も、誰の一言で事態が変わるかわからない、という法廷ものでもあります。
鉱山で働く女性はジョージーだけでなく、他にもいるのですが、訴えたりしたら自分が職場を失う怖さから、ジョージーの味方をする人はいない。諦めて、我慢して働くだけしかないという実情。
では、ジョージーは、汚い格好で目をつり上げて戦ってばかりいるのか、というとそれなりに家庭での母の顔、両親から見た娘の顔を見せていて熱演です。力入りすぎていると思うくらいです。
私もセクハラ、いやがらせに対して、抗議したことがあります。でも、表向きは改善されたとはいえ、やっぱり影では「いいつけた」という見方をされているのは変わりません。後味さっぱりキレイになりました、というものではなく、どうしてもしこりが残る嫌なものです。
だから、ジョージーの気持ちもわかるし、自分の保身のために口をつぐむ、または、嘘をつく人がいるのも現実として十分、説得力がありますね。それでも、何かしなければ、行動を起こさなければ、何もならない、という勇気を全面に訴える真面目さに心うたれるものがありました。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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