奇妙なサーカス Strange Circus

奇妙なサーカス Strange Circus

2006年1月9日 新宿トーアにて

(2005年:日本:108分:監督 園子温)

グラン・ギニョール

フランス語で「大きな人形」19世紀末から20世紀初期、パリで流行った大人向けの残酷で悪趣味な、恐怖とエロスの猟奇演劇。

この映画は確かに、幻想としてのサーカスがたくさん出てきますが、私は寺山修司を意識しているのではないか、と思いました。

しかし、監督は、グラン・ギニョール・・・見せ物を常に意識して作ったそうで、それはそれで納得です。

脚本は、映倫から何度も怒られながら、書き直したものだそうです。

映画を観るとさすが18禁と思いますが、最初の設定はもっとぶっ飛んだものだったとのこと。

映画から遠ざかっていた宮崎ますみの女優復活、という事もとても大事にしたそうですが、確かに、宮崎ますみの怪物ぶり・・・最初から飛ばしております。エロスというより怖いですね。大きな目がわなわなとするところなんか・・・

異様にヨーロッパ風の装飾のある家、裕福な家の中の不幸な出来事。

この家がセットでなく、本当にある家をロケしたという話はびっくり。こんな家に実際住んでいる人がいるのかぁ~って・・・そこら辺も作って、作って作り込んだ世界の中の本物志向があっていいです。

話の中に話が入り、赤を強烈に使ったイメージ映像。確かに不健康な内容ではあるのですが、映画としての後味は悪くない、というさじ加減が上手いです。

この「グラン・ギニョール的」な外見だけ観て拒絶する人も多いと思いますが、映画は後半から意外な方向に展開していきます。

そこで出てくるのが、謎の美少年、いしだ壱成。

いしだ壱成は寺山修司の『毛皮のマリー』にも出ていたし、やっぱり寺山修司の世界の住人のような・・・で良かったです。

舞台『身毒丸』といい、寺山修司の舞台に出てくる少年または青年には独特の共通点があります。

それは、足がものすごく細いことと、背中のラインがとても美しい男の子。中性的な細身であること。

いしだ壱成、もう化け物のように、宮崎ますみに迫ってくる。その迫力は、すごむのではなく、あくまでも、おとなしく、女性的で無表情・・・だけれども、その背後に強烈な何かを発しています。

赤、という色が強調されていますが、監督が「赤を際だたせると肌がキレイに見える。血、薔薇、赤は映画のためにこそある」と。

本当に映画的な手法をこれでもか、って使っていますから、話は映倫激怒ものかもしれませんが、私は観ていて感心してしまいました。

名前のない仔犬が 私をつれていく

名前のない仔犬が 私を食べにくる

名前のない仔犬が 私に会いにくる

名前のない仔犬が 私をつれてゆく

名前のない海辺が 夕陽をつれてゆく

名前のない夕陽が 夜空に殺される

名前のない夜空が 星座を飾りたて

名前のない星座が 朝もやに消えてゆく

これは、映画の中で、宮崎ますみといしだ壱成が歌う歌ですが、監督の作詞、作曲。

映画を作る前、17歳で詩人として注目を集めた園監督だそうですから、だらだらとした長文というより、短い言葉をつなげていったような印象が映画にもあります。詩的と言ってもいいですが、ほほえましい、ロマンティックなものではなく、あくまでも強烈なエロスと恐怖の言葉と映像の合体です。

0コメント

  • 1000 / 1000

更夜飯店

過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。