クラッシュ

クラッシュ

Crash

2006年2月23日 新宿武蔵野館にて

(2005年:アメリカ:112分:監督 ポール・ハギス)

車の衝突(クラッシュ)で始まり、車の衝突で終わる36時間。

そこに12のエピソードをからませて、スピーディに綴りあげたというのがいいです。

この映画はジグゾー・パズルのようで、その1ピースが人種です。このピースは「豊かな白人」このピースは「豊かな黒人」、このピースは「貧しい白人」、このピースは「貧しい黒人」・・・他にもアジア系、中近東系といった人種というジグゾー・パズルのようです。

しかし、私は実際にこういう露骨な人種差別は、体験したことがありません。だから、わかる、わかる・・・と安直にわかったふり、はしたくないですね。その複雑さ、困難さにびっくりするのです。

この映画がインディペンデント映画として出発し、低予算、短期間で作られた・・・というのは確かに納得のいく内容です。

肌の色や人種はくっきり違うけれど、人間性というものは実にグレイでわかりにくいものだからです。

人種差別主義者の警官・ライアン(マット・ディロン)なんてそのもっともたる例でしょう。

ライアンに言わせると人種から衝突の起きる事の多いロサンゼルスで警官をやっていくにはこのくらいでないと出来ない、とその露骨な有色人種への侮蔑ぶりを嫌う部下の若い警官(ライアン・フィリップ)に言う。

確かに、すべての人(人種)の話を全部聞いていたら何もすすまなくなるでしょう。だからこそ、悲劇的な事が連鎖して起こる。

そこら辺の観察力と構成力というのは凄いと思いましたね。

私が感心したのはサンドラ・ブロックの検事の妻・・・車を黒人2人組に強奪されて、神経が参ってしまい、全く関係ない人にまで当たり散らす。車を盗んで、私達を恐怖に陥れたのは黒人だから・・・と鍵を取り替えにきたヒスパニック系の男性にヒステリーを起こす。

そして、「朝、起きると怒っているの」という言葉が今を現わしているような気がしました。

一種の群像連鎖劇だから、他にもたくさんの人の思惑が交差し、実際に悲劇が悲劇を呼んでいくのに、その合間に「人間は一面、善人、悪人という2通りではない」というメッセージを発しているのですね。

またこれを体現しているのがマット・ディロンなんですけど。良かったですね、マット・ディロンの複雑ぶり。黒人女性に対してあんな侮蔑的な事をしたのだから、事故現場で、何をしでかすかわからない・・・というちょっと先が読めないようなエピソードが好きだし、ここは迫力。

また差別された人たちはみんな、かわいそう・・・という意識はなくて、それ故にゆがんでしまった価値観というものも、描き出します。

それが「バスの窓が大きいのは黒人をさらしものにする為だ」と言ってバスに乗らず、ひたすら車の盗難を繰り返す2人組。

この映画を「ひとこと」で語る事は難しいです。びしびしと厳しい目だけでなく、どこかしら許すという雰囲気も同時にただよわせています。

一回、傷ついてしまった人が傷つけた人を、心から許す、という事は難しい。

厳しい事を描きながらも、この映画の「許す」という視線がとても好きです。

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