僕のニューヨークライフ
Anything Else
2006年2月21日 恵比寿ガーデンシネマにて
(2003年:アメリカ:112分:監督 ウッディ・アレン)
ちょっと映画が込み入ってきたり、抽象的だったりするとすぐに「わからない、わからない」と言うのは私はイヤで、わからないなりにも、映画を観たら何かしら、感じるものがあるだろう、なんて思っていた訳です。
しかし、正直言いますと高校生くらいのとき、『アニー・ホール』『マンハッタン』『SEXのすべて』などを観て、どうにも「わからない」のがウディ・アレンの映画でした。
正確に言うとなんで皆が、いい、いい、と絶賛するのか、わからなかった。
確かにニュー・ヨーク=お洒落、みたいなイメージあるし?インテリ層の知的な会話も、とぼけた会話もあるし?・・・そこら辺は「わかる」のですが、手ばなしに絶賛する程、面白可笑しいとは思えなかったのです。そしてユダヤ人である、ということからくる諧謔味といいますか、セルフ・パロディのような存在感というのも、どうも、私にはピンと来なかったのです。
私、ユダヤ人じゃないし?どうにもこうにも、この「笑い」というのは、壁があって日本人でわかって本当におもしろがっている人って相当な「アメリカ人」なんじゃないか?なんて事まで思っていました。笑いが伝わるまで、「・・・?・・・!」という時間がかかるのです。
むしろ『インテリア』のように、笑いを一切排した究極の世界の方なら、怖いというか深いというか・・・・感じるものがありました。
しかし、最近、公開されるウディ・アレンの映画は随分「わかりやすくなった」というか自分がわかる年齢にやっとなったのか・・・どっちなんでしょう・・・と思っていた矢先にこの映画。
この映画は、完全に昔のウディ・アレン路線。
舞台はもちろん、ニューヨーク。そして、出てくるのは、今はコメディの台本を書いているけれど、小説家になりたいと思っている青年(ジェイソン・ビックス)とその恋人(クリスティーナ・リッチ)。その周りをうろつく謎?の同業人(ウディ・アレン)、厄介なマネージャー(ダニー・デビート)・・・・その会話のやりとりです。
青年はカウンセリング依存、魅力的な恋人はセックス依存、ウディ・アレンはユダヤ人被害妄想的。
なんか都会病、贅沢病みたいな皆さん。なにかと割り込んでくる男、ウディ・アレンの被害妄想は勝手に増大していくし、それに巻き込まれてしまう気の良い青年、もう私、勝手に生きてます、みたいな恋人。そんな人間模様が会話のあれこれでつながっていきます。
この会話のテンポはさすがに良くて飽きませんし、突如、衝動的になるウディ・アレンの行動っていうのもびっくりします。
クリスティーナ・リッチの憎たらしい、可愛らしさって良かったですね。
そしてこの会話の中で重要なポイントを占めるのが「言い訳」です。
皆が皆、何かしらの言い訳をしあっている。なんで浮気したんだ!・・・違うの、あれはセックスの相性を試しただけ。浮気じゃないわ!
などなど、そりゃ言い訳でしょう・・・という事に必死に抗弁します。
私は大笑いするというよりも、なんとも細かい会話のズレにくすって笑ってしまったのですが、ウディ・アレンの映画に行くと必ずと言っていいほど、がははっがははって大笑いしている男の人の声がします。その人はきっとあめりかじん、なんだな。そうだ、うん。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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