リリイ・シュシュのすべて

リリイ・シュシュのすべて

All About Lily chu-chu

2006年2月16日 DVD

(2001年:日本:146分:監督 岩井俊二)

中学生ともなると心身共に変化が激しいだけに周囲への目も変わる。

それが反抗期ってものかもしれないけれど、人間っていうのは厄介なものです。

映画『疾走』を観た後にこの岩井俊二監督の2001年の映画について話が出たのでDVDで観てみました。

これ、何故公開時観なかったか、理由を思い出しました。

原作が監督がインターネット掲示板のやりとりから書き上げたインターネット小説だから。

まだインターネットの世界を知らない時の映画でピンと来なかったのです。

でも、タイミング的には今、観て正解でした。

主人公の中学生は、リリイ・シュシュという歌手の世界に、そしてそれを応援するサイトの掲示板に現実逃避する。

現実の学校生活では、反抗期の子供たちが集まる場で、目をそむけなくなるような事が平然と行われる。

それに目をそむけながら、やりすごす生活。

それに対して、自己主張して変化していく子もいれば、ひたすら変わろうとする自分を押さえつけてしまう子もいる。

群れを作って、弱いものを排除する。

力の強い者が支配する世界。

極めて理性のない世界ですが、実は社会に出てもこの構図は変わらないのかもしれない。

ただ、「金」という力でもってある程度、逃げる事が出来るのかもしれない。

だからこの映画の中の中学生たちは、金を欲しがる。

金=力。

盗みや万引き、恐喝、援助交際・・・でもそれで得た金はすぐに消えていく。

援助交際で得たお金を少女は靴で踏みにじる。

強者は気に入らない弱者を暴力で蹴散らす、または堂々とさらし者にする。

しかし、映像はどこまでもどこまでも透明で明るさに満ちています。

その映像美は、他の誰も出せない美しさ。

ピアノを弾く少女の姿、ホースで自分に水をかける少女の姿など特別美しく見せます。

ありがちな、暗い少年達の妄想の世界など作らず、あくまでも客観的に風景を映し出します。

空の美しさをこれほど綺麗に映しだした映画はないかもしれません。。

空はどこまでも青く、赤いカイトが飛ぶ。

田園の風景で四季を見せる。

青々とした田園の中で、黄金の実りの中で、何もなくなった野焼きをしている中で、中学生たちはリリイ・シュシュを聴く。

その顔には感動も、憂鬱もなく、無表情に音楽を聴いている。

風景が美しければ美しいほどこの映画は悲しいのです。映画の中から主義、主張は発せられないけれど、画面からは抑圧された者の苦しみが、ガラスのように美しく光っています。

これは悪いことです、という摘発といった視線はなく、どんなことも透明感のある風景の中で普通の事として描かれます。

そしてHNという匿名の掲示板の世界の文字が画面に現れては消えていく。空しい言葉たち。

ドラマチックな主張や表現を排除して、静かに美しく過激な反抗期の世界を作り上げることが出来る人はそうそういないでしょう。

この映画を「罪つくりな映画」と書いた人がいて、成程、観た後に妙な罪悪感が胸に残る映画。

それは、厄介なのは反抗期のなかった子供というのは大人になって苦労する、という更に先の展開が私にはわかってしまうからだし、暴れられる時に暴れた者は幸せで大人になってケロリとしていられるけれど、暴れられなかった者は一生抑圧の苦しみを背負うような気がしてならないから。

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更夜飯店

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