僕が9歳だったころ

僕が9歳だったころ

When I Turned Nine

2006年2月15日 日比谷シャンテシネにて

(2004年:韓国:105分:監督 ユン・イノ)

これは原作が『9歳の人生』という有名な小説だそうです。

原作はわからないのですが、この映画では、あくまでも1970年代の僕の話で、ありがちな「今、大人になった僕」は一切出てこない所が良かったです。

ノスタルジィもの・・・というのは日本でも去年はノスタルジィもの・・・昔はよかったといった映画が多く、ひとことに「ノスタルジィ」といっても人の記憶というのは、それぞれで良いことばかり思い出す人もいれば、忘れてしまった人、嫌な思い出しかない人、良い、悪いが色々な人・・・とあるのでノスタルジィとはこうですよ、とばかりに押しつけて描かれる映画は、全てが「そうだよね」って思えませんでした。

ノスタルジィを描くというのは意外と難しいのです。

この映画も宣伝では、即自分のノスタルジィと直結するような宣伝文句ですけれど、観てみると「違い」という方が目につきました。

監督は私と同じ年で、やはり1970年代が子供時代だった訳ですけれど、それを考えてもやっぱり違いというものがとても興味深いものがありました。

子供の学校ものによくあるパターンで、かわいい転校生がやってきて、波乱が起きる・・・というものがありますけれど、この映画でも韓国の慶尚道という村にある小学校にアメリカ帰りの身なりも綺麗でかわいい女の子、ウリムが転校してきます。

しかし、このウリムという女の子、かわいいけれどももの凄く高慢でわがままで、言っているアメリカ自慢、アメリカに住んでいるという父の自慢・・・どうもあやしい。

家は貧しいけれどガキ大将のヨミンは、すぐにウリムに興味を持つのではなく、何となく観察しているだけです。

ヨミンの仲良しの男の子っぽい、女の子クムボクは、ウリムが気に入らない。なんとか嘘つきの尻尾をつかまえようとからむ。

このクムボクという女の子がとても良かったですね。まだ9歳という等身大の女の子という感じで、遊びも男の子と一緒に鍋かぶって戦争ごっこをしたりする。

よく子供たちは、喧嘩しますが、その度、「ちっ」というあからさまに軽蔑の舌打ちっていうのが強烈。

確かに、喧嘩も仲良しも仲違いもある子供時代だった私でも、この「ちっ」の連発にちょっとびっくり。

また、学校の担任の先生というのの厳しさも、びっくりです。めちゃくちゃ厳しいのですね。何かあると廊下に立たせる、物差しで頭、ビシビシ、ヨミンなんかはすぐに頭をはたかれ、蹴飛ばされる。

『あおげば尊し』という日本映画では、現代の小学校ですが、生徒に厳しい女の先生が父兄から「冷たい」と苦情が来るのを、「甘やかすのとやさしくするのは違うでしょう!」ときっぱり言い切る所がありました。

私が子供の頃は体罰って当たり前だったのですが、今はすぐ暴力という言葉に直結させて、非難する。暴力っていう言葉はよくよくのことがないとあてはまらないのですが、「暴力だ、暴力だ」と騒ぐ。

その辺、この映画の学校の風景は先生は厳しく体罰をしても、なんだかんだいって親たちも子供を甘やかしてはいけない、と先生を立てる。

子供もそれが当たり前だと思っている。そんな風景は、今見ると、懐かしいというより、逆に新鮮です。

さて、学校であれこれどたばたやっている内に、ヨミンはウリムが気になり出します。

でもやっぱり気位の高いウリム。遠足で林に行っても「私にこの木の枝をまたげと言うの?綺麗な花、私に摘んでくれないの?」などど・・・ここら辺、ウリム様の命令にしぶしぶ従うヨミンの姿はなんとも、大人になっても同じなんじゃないのかなぁ~なんて苦笑いが出てしまいます。

ウリムがだんだん、学校に慣れてきて・・・ヨミンやクムボクもだんだんウリムが受け入れられるようになって・・・という課程がとても丁寧で、ただただ懐かしく泣ける映画ではないです。子供の世界の厳しさというものもしっかり上手く流れの中に組み込まれていますから。

昔は良かった、とか、かわいい子供を見せるという映画ではないんですね。

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