メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
The Three Burials of MELQUIADES ESTRADA
2006年3月21日 恵比寿ガーデンシネマにて
(2005年:アメリカ=フランス:122分:監督 トミー・リー・ジョーンズ)
私が学校を出て社会人になったとき、しつこく言われた事は仕事は「正確、迅速、丁寧」である、という事でした。
その考えが徹底していた職種だった訳ですけれど、しかし実際に、正確かつ迅速かつ丁寧に仕事するのは難しく、私などは3つの内どれかひとつは欠けてしまって、失敗して怒られて始末書を書いていました。
だから、今でも私は仕事になるとこの「正確、迅速、丁寧」でなければならない、という強迫観念のようなものがあります。
若い時にたたき込まれた事って怖いですね。
そして、ネットを始めるようになって、携帯電話を使うようになって、「早いのが当たり前」にもなってしまいました。
しかし、この映画、描いている事は正確でも迅速でも丁寧でもないのでした。
むしろその逆の世界を描いているといってもいいくらいです。
アメリカとメキシコの国境地帯のテキサスで、メキシコ人の友人、メルキアデス・エストラーダを殺されたピートという初老のカウボーイ(トミー・リー・ジョーンズ)は、一度はもみ消されて埋葬されてしまった友人を故郷に埋葬するべく、掘り起こして馬に乗せて危険な旅に出てしまうのでした。
ピートは、変人、異常と言われても平気な顔をしているしたたかな男ですが、メルキアデス・エストラーダを故意ではないにせよ殺した国境警備員のマイク(バリー・ペッパー)を拉致同然で、「罪を償え」と道連れにするのです。
もう、久々に渋い、男っぽい、埃の立つような映画、観てしまいました。骨太です。渋いです。
ピートは、荒っぽいカウボーイだから、マイクを連れていく、というより引きずっていくのがえんえんと・・・。その旅は、馬でコツコツと殺伐とした風景の中を歩いていく旅であり、目的地はあくまでも曖昧なままです。しかし、頑固なカウボーイは友人の埋葬の為に自分の道を行ってしまうのです。
監督でもあるトミー・リー・ジョーンズは、何事にも驚かずあわてない男ですが、バリー・ペッパーのずたずた、ぼろぼろぶりというのは、観ていて壮絶なものがあります。
そして、悪意がなくても人の命を奪ってしまった事への贖罪というものをそれはそれは厳しく描く。
あまりにも厳しい試練の旅・・・しかし逃げようにも何処に逃げていいのか、また、どうやって生き延びるのかわからない都会からやってきたばかりの普通の男をバリー・ペッパーが体張って演じているのが凄い。もう、バリー・ペッパーのずたずたぶりったら・・・そしてありがちな事ですが旅を続けていく内に友情が芽生える・・・なんて生やさしいことはない。
あくまでもピートはメルキアデス・エストラーダに友情を感じているのであり、マイクは、罪を贖う人です。
一度埋葬された人を掘り返す、なんて事はキリスト教的には冒涜にあたるのかもしれませんが、そこを強行突破する。
もう、トミー・リー・ジョーンズは、数々のハリウッド映画に出演しているとはいえ、真面目で頑固で融通のきかない男を骨太に演じていました。西部劇というよりは、寓話または神話ですね。
観客は、生やさしい気持ではこの映画は受け入れられません。バリー・ペッパーと一緒になってずたずたになるのです。
そして、贖罪という事の大切さを、ドンと胸に受止めなければなりません。
正確、迅速、丁寧な世界ではない、と最初に書いたのですが、そういう世界を実に丁寧に作っている映画でもありますし、役者の顔がどんどん良くなっていきます。特にバリー・ペッパー、そして多分、それを観て受止めている観客も・・・次第にいい顔になるのだと思います。
2時間2分の旅は、急がず、近道をせず、安直な事を排した、じっくりとしたとても重みのある渋い、大人の旅なのでした。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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