マクダル パイナップルパン王子
McDull, Prince de la Bun/麥兜 菠蘿油王子
2006年3月15日 渋谷・ユーロスペースにて
(2004年:香港:78分:監督 トー・ユエン)
このアニメ映画は2004年(一昨年)の東京国際映画祭で上映されたので知っていました。
パンフの絵の感じからすると、他のアジアの映画とは違う雰囲気があってインパクトありました。
主人公たち・・・動物たちは、あくまでもアンパンマンのような平面的なシンプルな線のキャラクターで、なんで子供向けTVアニメのような映画が映画祭に出品されるのだろうと思ったのです。
しかし、観てみると・・・これは、子ブタのマクビンが主人公ではありますけれど、実にシュールなアニメで、「ウォン・カーウァイより難解」というキャッチコピーは納得です。なんか『恋する惑星』『天使の涙』『2046』・・・特に『2046』みたいな内容なんですね・・・つまり、理路整然としていなくて漠然としているような広がりを持っているのです。
話は小さなエピソードの積み重ねなのですが、それはもう起承転結を最初から無視していて、話は飛びに飛びまくり、唐突に別の話、過去、現在、未来を自由に行き来する。
また、絵もキャラクターは平面的なのですが、近未来の香港の街は、実写かと思う程精巧緻密な3Dアニメで『イノセンス』みたい。
また、絵本の中にも入っていってしまいますが、そうするとクレヨン調だったり、パステル調だったり・・・メルヘンタッチになったり・・・と絵、つまりアニメで出来る事をフルに使っています。それがバラバラになっていなくて、しっくりしているところにセンスを感じます。
台詞もマクビンが通う春田花花幼稚園では、マルチ教育方式といって、大人になってからの処世術を教える。
レストランでの言いがかりのつけ方、言い逃れの仕方、テニスのラケットで工事現場のシミレーション、そして教えるお遊戯は、けだるいチャチャチャ・・・・
マクビンはお父さんがいなくてお母さんと2人暮らしで、お母さんはとても教育熱心。
マクビンがハリー・ポッターを読んでよ、お願いしても、お母さんはハリー・ポッターの作者がシングル・マザーで貧しかった事にいたく感激して自分でも物語を書き始め、それを読み聞かせる。
その物語が『パイナップル・パン王子』の物語なのですが、はじまってすぐに「・・・そして愚かなオヤジになりました」で終わってしまう、なんともシビアな物語。
この映画は「大人の愚かさ」というものを強調していて、何かと出てくるおじさん・・・園長先生、お医者さん、お店のおやじ・・・すべて同じ人物で、声を「あの」アンソニー・ウォンがすべてを担当しています。
青年になったマクビンの声が、アンディ・ラウ。
おじさん、もう、べらべらべらべら・・・・途切れなく話をするかと思うと、しみじみと、マクビンと友人のカメのファイに、「失恋よりも失業の方がつらいんだ」なんて・・・もう、私、ひぃ~~~~~って身にしみるお言葉の数々でございます。
小さなエピソードは脈絡なくつながっているように思うのですが、最後まで観ると、ちゃんとつながっている、ちゃんと各エピソードには理由がある・・・というのには舌を巻きました。ただし、アニメだからといって春休みの子供さんもちらほら、いたのですが、可哀想だけれども、子供からはとっても遠い世界にぶっとんでしまっている大人のアニメなのでした。
タイトルになったパイナップルパンというのは、パンの名前で、日本で言うメロンパン、だそうです。
お母さんが語るパイナップルパン王子は、帽子がこのパンの形になっています。他にも食べ物やお菓子がたくさん出てくるのですが、もう、香港ならではって感じの食べ物ばかりで、まさに香港ムード、満載。香港映画好きな人はこの雰囲気、たまりません。
本当に頭が良くてセンスのあるアニメなんですけれど、私が一番感心してしまったのは、パイナップルパン王子が、海辺の遊園地に行くと乗り物はすべて、貨物コンテナだ、ということです。観覧車が貨物コンテナ・・・こういう所からして、もう子供が喜ぶというよりも大人が、迷路に入って迷う、そんな世界をきちんと考え出している所がやっぱり、映画祭もの、なんだな、と納得して帰って参りました。
マクビンは貧乏ゆすりをして、お母さんは病気じゃないかと病院に連れて行く・・・でも病気なんだかよくわからない。
観る方も貧乏ゆすりをしながら、けだるいチャチャチャの音楽を聴く・・・そんな見方がいいかもしれません。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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