バイバイ、ママ
Loverboy
2006年4月20日 渋谷 シアターイメージフォーラムにて
(2004年:アメリカ:86分:監督 ケビン・ベーコン)
夫、男なんていらない・・・私が欲しいのは自分の分身、子供だけ。
冒頭、良く言えば自分の子供にふさわしい男性探し、悪く言えば男あさりをするキラ・セジウィック。
男性だけでなく、優秀な精子を取り寄せて体内受精まで試みる・・・・映画を観て、何故、唐突にキラ演じるエミリーはこんなに「子供」に固執するのかははっきりとは出てきません。
しかし、回想シーンで出てくる自分の両親・・・それがキラの実夫で監督のケビン・ベーコン。妻はマリサ・トメイ。
裕福で、別に迫害されているのではないのですが、両親があまりにも「仲が良すぎて」ところかまわずべたべたするのが愛情だ、という節操のなさが思春期のエミリーのトラウマになって、いつも疎外感を感じ、ゆがんだものを持つようになるのだとわかります。
そして、隣人の美しい理知的で孤独の影を持つ夫人、サンドラ・ブロックにむしろ親近感と憧れを持つのです。
やっと授かった男の子ポールは、とてもかわいいLOVERBOY。自分の好みの服を着せ、勉強は自分が教え、遊ぶのも自分とだけ・・・と母の拘束はちょっと目に余るようになるし、6才になって友達もいない、学校にも行かせてくれない・・・自分を離してくれない母に反抗しはじめるポール。でもまだ6才とも言えるのです。
日本映画『愛してよ』ではシングル・マザーは子供をキッズ・モデルにしようとはりきり、それは自分の虚栄心を満たす、自分の失敗した人生を息子で取り戻そうというものなのですが、この映画の母、エミリーは本当に孤独で、エミリーの世界にはもうポールしかいないのです。
ポールの為ならエミリーは何でもやるでしょう。1人で殻にこもることが出来なくて、自分の分身を殻に閉じこめる。
でも子供とはいえ、そうそう母のお人形ではないのです。
そこら辺、キラ・セジウィックは、あまりヒステリックにならず、愛情を注ぎ、かわいがり、一緒に遊び・・・「私の子供は特別」っていうのは、映画ではデフォルメされているけれど、これこそ、母性本能ってものかもしれません。依存とも愛情ともとれるギリギリの所を繊細に演じます。
自分勝手というよりも、一生懸命という描き方で、ここ微妙。
この映画を観たお子さんを持つ女性の中には、「何これ!私は違うわよっ!」って憤慨する人もいるかもしれませんが、憤慨してしまうという「過信」を持つお母さんはどこかしらエミリーのようなものを持っているような気がします。エミリーは自分のやり方は正しいと信じて疑わないのだから、反論されれば当然憤慨してしまう。
しかし、エミリーは母の役目はきちんと果たすのだけれども、よくある父の役目までも背負うという事は出来ないのですね。
だから、海辺のロッジで出合った男、マット・ディロンのとの男らしい遊びにポールは夢中になっても、エミリーは、内心嫉妬と不安で唇をかみしめるだけです。
エミリーが何があっても「夫」「男」はいらない、という姿勢をくずさないのが、とても哀しくなってきます。ちょっとは人に甘えてもいいのに・・・なんて可哀想になってくる。
映像がとてもクリアで綺麗です。回想の憧れの夫人、サンドラ・ブロックの寂しげなたたずまいなどとてもいいですし、デビット・ボウイの'Life on Mars?'の曲の使い方などもとてもいいです。この曲は私も好きで、なんとも寂しげなロックの名曲なんですね。
(音楽担当は兄のマイケル・ベーコン)
かつて、ケビン・ベーコンとキラ・セジウィックは『パイレーツ この恋火気厳禁』なんていう、とんでもないバカップルぶりを発揮した映画に出たりしたのですが、さすがにこの歳になると、分別ある繊細さ、というものを持ち、表現出来るようになるのですね。
いつまでも若く変わらないというのはいいことかもしれませんが、成長がない、というのは私は苦手なのです。
その点、この夫婦は良い年のとり方をしているなぁ、なんて思いました。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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