DEATH NOTE デスノート(前編)
2006年6月28日 TOHOシネマズ市川コルトンプラザにて
(2006年:日本:126分:監督 金子修介)
この映画の原作は、少年ジャンプに連載された、人気漫画だそうです。
私は全く知りませんでした。最近、読んだ漫画は中川まさみの『兄さんのバカ!』だったりしますので。漫画は読まないのです。
普通だったら、なんとしても2時間にまとめてしまう所、最初から前・後編と4時間近くの映画にする、という決断はそうそう簡単には出来なかったはずです。そんなに映画は甘くないのです。ヒットしたら続編または、2,3につながる・・・というのが普通かと。
私はこれは面白い、というより「おもしろ映画」だと思いました。原作のアイディアが秀逸。
原作、読んだ事ないから、主人公が「らいと」という名前ですが、「月」と書いて、らいと、と読ませるのだ、というのに一番びっくりしたりして。
さすが、漫画の世界。
荒唐無稽な話です。名前を書いたら、理由理屈なくその人が死ぬ、というノートを拾ってしまった、頭のいい大学生、夜神月(藤原竜也)
法律を学ぶ身として、法で全ての人が裁ける世界ではない、悪者が堂々と生きているのが、許せない、と名前という呪縛で殺していく。
月にとっては正義ですが、果たしてそれは、本当の正義なのか?という筋があって、デス・ノートの所有者だけに見えるという死神、リュークを従えて、どんどん正義の殺人を繰り返す。
藤原竜也は、映画よりも舞台の人、という印象が強いのですが、舞台での評価は高く、映画での評価はいまひとつです。
でもこの役は、知的な表情が出せないと演じられない役なんです。
謎の殺人事件に翻弄される警察は、天才と呼ばれる名探偵、L(エル)に捜査を依頼する。
エルは、最初はワタリと呼ばれる老人(藤村俊二)が持ってくるパソコンを通じてでしか、出てこない。
そして、出てくるのが、エル=竜崎こと、松山ケンイチ。
お菓子やケーキや甘いものしか食べず(しかも人差し指と親指しか使わないという偏屈ぶり)、なんだか世にも邪悪な少年、という感じで、どんどんエルが、月を追いつめていく。この気持悪いような、鋭いような、大人をバカにしたような天才少年の暗さがいいです。
最初出てきた時、これがあの松山ケンイチだとは気がつかなかったくらい、変貌できる役者さんで、密かに期待しているのです。もう、松山ケンイチ君ですよ、脇とはいえ存在感と雰囲気をこんなに作り出せるとは思わなかったですね。
死神リュークは、CGで、声が中村獅堂。リュークは、月とエルの対決を楽しんでいるような存在で、なんだか脱力もののキャラクターです。
でもこのCG技術っていいですね。絵が綺麗なんです。このCGの技術だけでも昔だったらあり得ない贅沢なんですが。
まぁ、荒唐無稽と言ってしまえばそれだけなのですが、映画のテンポは良くて、つっこみどころがあっても、原作を知らない私は先が読めなくて、いちいちびっくりしていました。新本格ミステリをがしがし読んでいるような気持。
名前の呪縛、というのがいいです。ノートの掟、などもなかなか凝っていて、だんだん月がそのノートを使いこなすようになるのと、エルがそれを追いつめていく・・・そんな追いつ追われつ・・・最後に出てくるポテトチップスの袋だけで、後編への期待が。
映画は当然、後編へ続く、になります。
原作マニアの憤りの声も少し読んだけれど・・・・映画は映画として楽しむ余裕がないマニア精神の持ち主は後編を観ないがよいでしょう。
誰がどんな映画にしても、文句は絶えないはず。暗い情熱燃やした所で・・・ストレスたまるだけだと思うけれど。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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