バルトの楽園(がくえん)

バルトの楽園(がくえん)

2006年6月28日 TOHOシネマズ市川コルトンプラザにて

(2006年:日本:134分:監督 出目昌伸)

美談です。

美談は映画になりそうで、最近はあまり映画にならないところを、美談映画、とストレートに持ってきました。

第一次世界大戦で、青島で捕まったドイツ兵たちが日本の収容所に収監される。

徳島県の板東収容所は、所長の松江豊寿(松平健)の寛容さにより、ドイツ兵たちは優遇される。陸軍省から批判をあびても、捕虜は囚人ではない、と言い切り、逆にドイツの印刷、パン作り、音楽などの技術をどんどん活かしていこう、という所長とドイツ兵の交流が・・・そして、最後にドイツ兵はベートーベンの『交響曲第九番 歓喜の歌』を演奏する、というもの。

これは実話で、日本では、年末になると『第九』を何故演奏するのか・・・というのはこの事が始まりだった、という事実と、実際、松江所長のような人物が存在した、というのはもっと知られていい話かと思います。

ドイツ軍の将校がブルーノ・ガンツなのですが、あまり将校さんはからまず、色々な人の色々な話が盛り込まれています。

だから、大筋はあっても、シーンはあっちいったり、こっちいったりしてしまうので、あまりインパクトのあるシーンはなくなってしまいました。

どのエピソードも美談、なんですね。そこが戦争がらみなのに妙にさわやかになっている一因かも。

戦争というのはもっと悲惨なものだろう、と思うのですが、どうもその辺はさらりと描くだけにしています。

良くも悪くも甘いのです。美談が悪いという訳ではないのですが、美談を上っ面で終わらせるのはどうかと思う訳です。

美談の影には苦労あり、というその面が、あまり描かれないのです。

所長である松江が、会津藩の人間であり、会津の歴史も語られるのですが、それもひとつのエピソードになっています。

万人に受けよう、わからせようという意図があるので、どうしてもひとつのことにこだわって深く描く事は出来ないのですが、セットや衣装など時代考証にに凝り、大正時代の収容所を再現し・・・という努力があっても、軍人の妻(高島礼子)が「着られる」を「着れる」と現代のら抜き表現で、言われてしまうとがっくり。

外国語だったら字幕で気がつかないのですが、母国語日本語になると、方言や細かいニュアンスまでわかるのがいい事であり、逆にがっくりしてしまう事だったりします。折角の大正の時代考証、再現の努力がひとこと、でがらがらとお終いになってしまうので、テレビじゃないのだから、脚本その他で気がつくべき事でしょう。

私は言葉というのはその時代を現わしていると思います。その人の言葉の使い方である程度、お人柄がわかる。かといって、太古の言葉をそのまま再現しても、通じない。

しかし、大正、昭和の言葉は、まだ平成の私達の中に密かに息づいている。あまりに遠い過去ではないのに、気にしない、気にならない、わからない人ばかりではないし、ちゃんとわかっている人だってたくさんいると思います。

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