カサノバ
Casanova
2006年6月27日 新宿テアトルタイムズスクエアにて
(2005年:アメリカ:112分:監督 ラッセ・ハルストレム)
この映画の最大の誤算?は宣伝ですね。
宣伝、予告編では、恋愛至上主義、快楽、エロスを極めた男の女遍歴~エロエロドロドロゴテゴテ、エロイムエッサイム(って覚えている人いますか)~~のように思えてしまうのです。
エロエロに期待する人も、エロエロにげっそりしてしまう人も映画を観ると、その予想は裏切られてしまいます。
私もカサノバの映画だし、って思っていたのですが、この映画のカサノバ、ヒース・レジャーはなんだか妙にさわやか青年なのでした。
この映画が、R-18(18禁)でも、R-15指定でもない、というところに、ちょっと首をかしげていたのですが、なるほどの健全さ。
確かに、女遍歴で有名という描写は出てくるのですが、ヒース・レジャーのクリーンなイメージを壊さないように・・・と苦心しているように思えます。話はどちらかというと罪にも価する女遊び、放蕩者、リバティーンではなくて、実は唯一の女性に出会い運命が変わってしまう1人の貴族の冒険物語・・・になり、あらあらびっくり。
カサノバって人は、冒険家、作家、軍人、医師、錬金術師、法律家、スパイ、自由思想家、脱獄犯・・・・といった18世紀ヨーロッパのとてつもない人だった訳ですが、この映画のカサノバがするのは、本当の顔が知られていない事をいいことに、偽名を使ったり、放蕩者というより、女遊びの好きな男って感じであまり腹黒くないのです。
ジョニー・デップが『リバティーン』でこれでもか、これでもか!という迫真の放蕩ぶりを見せつけて圧倒したのに比べれば可愛いカサノバさんです。だからこの映画は、憎めない人のドタバタとしたコメディの要素が強く、それがあらあら、まぁまぁ・・・と意外な展開にびっくりする、というのが正直な楽しみ方かもしれません。
イタリアが舞台になっても、どうにもオージーなヒース・レジャーです。さすがに馬術やフェンシングなどは余裕を見せますね。
偽名を使って、なんとか好きになった女性に近づこうとする手管のあれこれなどもコメディタッチ。貴族といえども実は借金だらけ、そんな事は気にしないの、という所が一番貴族らしい所です。
これで、衣装とか美術がぺらぺらだったら、目もあてられない所、ラッセ・ハルストレム監督は、あの透明感のある映像美術をもってきますから、なかなか美しい時代絵巻になっているのです。
色々な人たちの恋愛模様が重なって、大団円、みたいな終わり方は『花咲ける騎士道』の爽快さです。
イタリア貴族を描かせたら、ヴィスコンティ監督とか・・・かつてフェデリコ・フェリーニ監督がドナルド・サザーランドをカサノバにした『カサノバ』などがあり、重厚な時代ものを期待してはいけないのです。
私は、ラッセ・ハルストレム監督、スウェーデン時代の『やかまし村のこどもたち』のいたずらっ子や『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』の寂しい少年と元気な子供たち・・・を思い出してしまいましたよ。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
0コメント