ナイロビの蜂

ナイロビの蜂

The Constant Gardener

2006年6月16日 丸の内プラゼールにて

(2005年:イギリス:128分:監督 フェルナンド・メイレレス)

『シティ・オブ・ゴッド』で衝撃的かつスピーディな映像を見せたフェルナンド・メイレレス監督の新作。

しかも、今回は、イギリス映画で、ケニアでロケ、原作はスパイ小説の大家、ジョン・ル・カレ。

ル・カレのスパイ小説というのは冒険小説ではなく、東西ドイツの問題、ソビエト連邦の問題、そこに暗躍するスパイとイギリス情報部員のジョン・スマイリーが戦うというよりも対峙する様子をそれはみっちりと描き込み、そうそう簡単には読めない独特の文章。

そのル・カレの原作の「対峙する」という姿勢と、メイレレス監督の独自の迫力あるドキュメンタリー手法のスピーディな映像、テンポ、そしてレイフ・ファインズを始め、イギリスの役者達のがっちりした映画です。

ル・カレは、ドイツ統合、ソ連邦崩壊の後は、パナマを描き(『パナマの仕立屋』、映画は『テイラー・オブ・パナマ』)、この映画ではアフリカ問題を取り上げています。

巨大な組織を前にして無力の個人の哀しみ、これは変わらないのかもしれません。

アフリカに赴任したイギリスの外交官ジャスティン(レイフ・ファインズ)と妻のテッサ(レイチェル・ワイズ)

テッサは、結婚する前から反政府活動に熱心。しかし、夫の方といえば、外交官というエリートではありますが、極めて温厚で、趣味はガーデニング、地味な人なんです。

それは2人が出合う所でもわかるのですが、アメリカのイラク攻撃に対して、イギリスの立場をがんがん責めるテッサ。偉い人の代理で訥々と外交員として無難な説明をするジャスティン。

動のテッサに静のジャスティン。2人はお互い、自分にない部分に惹かれて結婚。

しかし、反対の性格とも言える夫婦ですが、お互いを尊重している・・・だから夫は妻が相変らず反政府活動に熱心でも許すし、妻もそんな夫を自分の主張に巻き込むような事はしない、という様子が前半よく出ています。

だから、ジャスティンはテッサが何故、死んだのか、最初は全く訳がわからないのです。お互いの領分をおかさないようにしていたが為の悲劇。

映画は、テッサがアフリカで、自動車事故で亡くなった所から始まります。

『シティ・オブ・ゴッド』は、回想の映画といってもいいくらい、回想シーンの構成が見事だった訳ですが、この映画の前半はそのフラッシュ・バック、回想の上手さ。

しかし、後半、何故テッサはアフリカの奥地の湖の畔に行ったのか、死んだのは事故なのだろうか・・・と疑問を持つ内に、巨大製薬会社の人体実験もどきの陰謀に気づいてしまい、テッサを追うように、事件を追うようになるのです。

後半は、レイフ・ファインズが、白人の代々外交員家庭という上流階級の人間が脱皮して、アフリカに入りこんでいき、テッサの謎を追う内に変わっていく様子をじっくりと見せます。レイフ・ファインズは、だんだん日に焼けて肌が黒くなり、汚れていきますが、心持はどんどんテッサに近づいていくというのをとても説得力のある静かな演技で通しました。劇的に変わるのではなく、じわじわと少しずつ変わっていくのです。

人間、そうそう簡単にがらっと変われるものではない、というのがドキュメンタリーのようです。

ジャスティンの趣味であるガーデニング、原題にもあるガーデニング・・・というのは、そうそう派手な事はしないけれど、普段の世話というのはとても忍耐力のいる地道な事を続ける訳です。まさに、ジャスティンはガーデナーであった訳ですが、それはあくまでも趣味。

しかし、テッサの信念とも言える献身活動もまたガーデニング以上に忍耐を要するもの。その意志を引き継いだジャスティンは、別のガーデナーとなる訳です。

アフリカを救うという大義名分のもと、アフリカで人体実験まがいの事を続けている大企業。

「アフリカの命など安いものなのだ」という台詞が重くのしかかる。

『シティ・オブ・ゴッド』とはまた違った所で、メイレレス監督は人間や人種による濃淡の違いを描き分けた、そんな心持がします。

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