ゲームの規則

ゲームの規則

La Regle Du Jeu

2006年7月27日 日比谷シャンテ・シネにて(BOW30映画祭)

(1939年、1959年完全復原版製作:フランス:106分:監督 ジャン・ルノワール)

 この映画は1982年に岩波ホールで公開されたのを観に行きました。所が、当時、学生の私は映画の最初から最後まで眠ってしまって全く覚えていません。眠くなってウトウト・・・はありますが、最初から爆睡してしまったのはこの映画だけ、という妙な思い出の一本でした。

しかし、パンフレットはしっかり買っていました。

 今回、BOW30映画祭で上映される、と知って、24年経って観られるかどうか、がまず問題でした。

しかし、結果を先に書いてしまうと、素晴らしい群像劇でした。

ただし、学生の私にはちょっと無理な大人のフランス貴族の世界でもあったのだ、ということを思いました。今の年齢だからこそ、わかるあれこれです。イタリアのルキノ・ヴィスコンティ監督の描く貴族の世界は美しく、若い私にもよくわかる世界でしたが、この映画の奥の深さはまた、別の部類のものでしょう。人間喜劇なのです。

 この映画は1939年に最初、作られました。しかし、当時、台頭してきた戦争によるファシズムから弾圧、戦争でフィルムは散り散りになったのを20年経ってガポリとデュランという人によって復原されたのです。他にもこの映画はジャン・ルノワールの中でも非常に評価が高いものの、反面様々な弾圧にあった「呪われた映画」としても有名なのです。映画の歴史の深さを知ります。

 最初に字幕で、第二次世界大戦の始まる前夜の物語・・・と字幕が出ます。

しかし、舞台となるのはラ・シュネイ公爵の広大な別荘です。上流階級の人々が、集まり、狩りをし、パーティを開く。

戦争の影はみじんも見せません。公爵様ですから、もう豪勢な生活を優雅にしている。

しかし、最初に冒険家、アンドレ・ジュリューが大西洋単独飛行を成し遂げた時、「愛する人の為にこんな冒険をしたのに、その人が来てくれないとは」とラジオで嘆く。

その愛する人とは、ラ・シュネイ公爵の奥方、クリスチーヌであり、この2人の噂はもう有名なのでした。

奥方は、若くて美しい冒険家と浮き名を流していますが、公爵は公爵でジュヌヴエーヌという女性を堂々と愛人にしている。

クリスチーヌの小間使い、リゼットは、森番をしている夫がいても、奥様と一緒の方がいい、と別居をしています。

 そんな公爵が、開いた別荘での狩りとパーティ。アンドレも招待されます。もう1人、アンドレ、公爵の友人で、クリスチーヌとは、兄妹のような関係を持っている男、オクターブがいます。独身で、結婚はしない、というオクターブを、若き日のジャン・ルノワール監督自身が演じています。

美男ではないけれど、明るくて、調子が良くて、人が良く、誰もが慕う気さくな男。

 このオクターブは全編を通してピエロのような役割を果たしています。

公爵と奥方、奥方クリスチーヌとアンドレという愛人、公爵と愛人のジュヌヴィエーヌ、アンドレとオクターブ、オクターブとクリスチーヌ、クリスチーヌとリゼット、クリスチーヌとジュヌヴィエーヌ・・・・という登場人物の中で2人一組の会話が、輪のようにつながっていく、群像劇。

どの2人一組もある’象徴’を見せている。身分の高い者同士、身分の低い者同士、身分の高い者と低い者。男同士、女同士・・・男と女。

2人一組の映画でもあります。それが、奥行きのある映像で手前で、奥方と公爵・・・遠くの後の方で、リゼットと嫉妬深い森番の夫がどたばた・・など、二重になっているのでした。

 公爵はユダヤ人である、というのが、パーティの余興の劇でわかるのですが、パーティの劇こそが、現実を現わしていて、屋敷の中のあれこれはとてもブルジョワの人々で非現実的です。かわされる愛の言葉が妙に芝居がかっているようで。

前半狩りの部分が長く撮されますが、広大な土地で、使用人達を使って、ウサギ狩りをする様子からして、もう、身分の違いを見せつける。生まれながらにもう、身分は決まってしまっているのです。

人間に追いつめられて、銃でどんどん殺されていくウサギたち。戦争になれば、ウサギになるのはユダヤ人なのだ、という風刺。

 しかし、この複雑な恋愛模様、高貴であるはずの公爵は、はっきり言えば、寝取られ男、コキュで、滑稽な存在でもあるのですが、映画はその高貴さを落とすような事はしない。何があっても、公爵は公爵なんです。優雅な余裕のある貴族である、という描き方がいいですね。

夜を迎え、人々の恋愛模様も混乱をきわめていきますが、結局は公爵が全てをとりしきり納めてしまう。

客である将軍が「ラ・シュネイは階級を守った。次第に減っていく階級だ。お目にかかれなくなる人種だ」としめくくります。

この公爵を演じたマルセル・ダリオという人が、洒落者であって、威張る訳ではないのに全身から溢れる貴族感というのが素晴らしかったですね。クリスチーヌを演じたノラ・グレゴールは実際、オーストリア大公の夫人です。

作り物、演技ではない、本物の貴族感を出した映画なのですが、リゼットや森番といった使用人達の世界も、暗喩的に比較して楽しく描いていて、また、ラ・シュネイ公爵は、本当に戦争が始まったら没落していたはずの、その前夜という皮肉な豪華さ。

 社会風刺として、弾圧されてしまったのもわかるブルジョワ達の暗黙の「恋愛ゲームの規則、または、貴族の規則」

今、こういう映画は作ろうとしても作れないでしょう。

ロバート・アルトマン監督の『ゴスフォード・パーク』は、多分この映画の影響を受けていると想像します。

映画は眠ってしまっても、パンフレットだけ買っておいて良かった。今、読むと大変参考になる内容の濃いパンフレットです。

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