プルートで朝食を

プルートで朝食を

Breakfast on Pluto

2006年7月14日 シネスイッチ銀座にて

(2005年:イギリス:127分:監督 ニール・ジョーダン)

 この映画はテンポがいいです。

よく映画が章にわかれて描かれる事がありますが、この約2時間の映画で、33もの章にわかれていて、いちいちそれにタイトルがついています。こんな映画は初めてです。

1章がすごく短くて、「友人達の紹介」などは、子供たちがわぁ~~~って遊んでいる所だけだったりします。

 そしてこの映画はコメディです。アイルランドで孤児として生まれたパトリック(キリアン・マーフィ)は、もう子供の頃から女装に憧れ、10代にはもうしっかりとしたゲイで、もう街中で有名、養母家族もうんざりなのに、よくある「私は理解されない」という哀しみやひねくれや悩みはなく、パトリックは「いいもんっ!」と堂々としているのです。悩みがない、なさすぎる・・・・・。

カソリックの高校でも、うふふって、自分の好きなようにふるまって、周りは困惑。パトリックは平気で、とっても前向き。

 家から飛び出したパトリックはどんどんゲイの道に磨きをかける。素敵な男性と続々と出会い、結構、シビアな別れがあっても、ひたすら前向きパトリック。そして自分を捨てた母はミッツィ・ゲイナーみたいなブロンド美女なんだわっと思いこみ、ロンドンへ。名前もパトリックじゃなくてキトゥンがいいわって勝手に妄想ふくらまし、胸、わくわく・・・みたいな表情。

ここら辺の、キャラクター作りというのが、暗くなりがちなのに、暗くなく、ひたすら明るく前向きなめげない性格という所がこの映画の救いです。2羽のコマドリが出てきますが、ぴちちち・・・という声に字幕がついて、そしてカメラはコマドリが飛ぶ鳥瞰のシーンにつながる所は感心しました。そうする必要はないのだろうけれど、実はこの鳥瞰のカメラって、これからのキトゥンの姿をイメージしているのです。飛ぶように生きる。

 しかし、このアイルランドからロンドンへのキトゥンの旅と人生にいつもあるのが、アイルランドのIRAのテロ。とても暴力的な背景を持っています。

恋人がIRAのテロリストだったり、武器を隠す所に住むことになってしまったり。でも、キトゥンにあるのは美しい女性になる希望。

実際、テロ爆破の被害者になっても、血だらけになって「あああ~私のストッキングがズタズタに~~~」、取材のカメラが来ると担架に乗っていても「写りのいい方の顔を撮して!」

しかも、ただの被害者なのに、アイルランドから来たIRAのテロリストだろう、と警察に捕まって拷問されたり、牢屋に入れられても最後には「居心地いいから、出さないでぇ~~」といった、ちょっとした所に脱力もののウィットにあふれた会話や台詞がちりばめられているという上手さ。笑ってはいけない事なのに、どうしても笑ってしまうキトゥンの人生。

 全編にちりばめられた音楽も楽しく、ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーが、変質者を嬉しそうにやったり・・・そう、この映画はなんだか悲惨な事でも皆、嬉しそうなんです。どんな事も、ウィットとジョークで笑い飛ばすわっというパワーがだんだん強くなってくるキトゥン。

 そして、最初は茶色い髪だったキトゥンは、実母に近づくにつれ、髪はブロンドになり、メイクも服もどんどん洗練され、キトゥンが女優、みたいになるのです。

明るくてめげないキトゥンだからこそ、時々、ふ、と見せる寂しい表情が説得力あります。でも、それをひきずらず、話は新しい章へと飛んでしまう。そして、父が誰だかも判ってしまう。

 実の両親に出合った時のキトゥンのとった行動が、毅然としていて、それが力強いラスト・・・幸福感でいっぱいになるラストになります。

この映画は暗く、下品に悲惨にしようとすれば、いくらでも出来るのに、それをあえて反対のパワーで押し切る、という力強さがあります。

それがラストの爽快な気分につながるという、人生賛歌になっています。ギリギリスレスレをうまくかわして、笑いに持っていく・・・そしてペーソス(哀愁)も忘れない、上手い映画ですね。

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