STAY ステイ
Stay
2006年7月12日 恵比寿ガーデンシネマにて
(2005年:アメリカ:101分:監督 マーク・フォスター)
サム・フランシスの抽象画を観て、貴方はなんと言うでしょうか。何を感じるでしょうか。
この映画について言える事は、現代アート、抽象画、前衛芸術を観て、「わからない」としか言えない人は、観ない方がいい、観ても感想は「わからない」「つまらない」にしかならないという事です。
この映画が、主演にユアン・マクレガー、ナオミ・ワッツ、ライアン・ゴズリングという俳優をキャスティングしても、東京では単館公開だった、というのはこの映画の抽象性が、一般大衆向けではない、(金を払ったのだから)受け身で楽しみたい、楽しませてくれ、感動させてくれ、と口を開けて、美味しい食べ物を待っているだけの観客には何も与えてくれない、厳しさがあるからです。
自分で料理を決め、食材を選び、調理して、食べてみる・・・それが、美味しいのか、まずいのか・・・良くも悪くも自分の考えと腕次第なのだ、というのは、映画でも言える事だと思います。観客には、色々な要素が提示される。それをどう観るのか、それは観客ひとりひとりが違うはずで、謎があって、答えはまたは犯人はこれだ!というスッキリ感のない映画です。
私は、最初にライアン・ゴズリングの顔がそのままユアン・マクレガーにぶわん、と重なる最初の5分くらいから、「あ。もう、わかるのやめよう」と思い、ひたすら迷宮の中の世界を楽しんでしまいました。
ニューヨークの精神科医、サム・フォスター(ユアン・マクレガー)が出合った自殺願望の美術大学生、ヘンリー(ライアン・ゴズリング)
かつて、自殺未遂から救った患者ライラ(ナオミ・ワッツ)を恋人にしているサムは、ヘンリーも救えるのではないか・・・と奔走する。
しかし、ヘンリーと出合ってから、サムの周りでは現実がゆがみだし、謎だらけ・・・謎に翻弄されてしまうサム。
そのゆがみかた、というのが、とても映画的だと思うのです。同じシーンが何度も繰り返される。同じ親子が、同じ台詞をあちこちで言う。
追いかけても追いかけても、するりと姿を消してしまう青年。死んだはずの人々に出合ってしまうサム。ヘンリーの部屋の壁にびっしりと書かれた'Forgive me'の無数の文字。
また、この映画では、ブルックリン橋で始まり、ブルックリン橋で終わる、そして、様々な部屋や建物が出てきます。
舞台はニューヨークだけれども、これがニューヨークだ、という理由も理屈も要らない世界です。
この映画は建築物の映画とも言えます。こんなニューヨークの風景もあったのか、と新しい見方を提示してくれる映画。
美術の才能のあるヘンリーが描く絵も、建物の抽象画。
もちろんラストから、この映画を振り返って、色々理屈を考える事も可能な映画ではあります。
しかし、過去、『マルホランド・ドライブ』『箪笥』『カル』『四人の食卓』といった謎映画が、そうだったようにこの映画には正解はないと思います。
正解のない世界というのは、不安定で不安。だから、不安を怖がる人はこういう映画には向かないと思います。
心理テストみたいなもので、無意識に不安を怖がっている人はこの映画に無理矢理、答えを見つけ、自分を納得させ、拒絶反応を示し、不快感を持ってしまうのではないかと思います。
マーク・フォスター監督は、最初から意図的にこういう抽象的な映画を目指している、それがわかるだけで、私は満足なのです。
映像は、微妙にゆがみ、空間は超越し、時間は行きつ戻りつする。大変、よく出来た脚本をとても綺麗なビジュアルにした現代アートなのです。現代アート、コンテンポラリーアートを堪能する。わかるのではなく、堪能する。これぞ瞳の快楽。
主演の3人は、抑えた演技がとてもいいし、現代アートの中に違和感なくはまってしまっているような絵の一部になりきってしまっている美しさがいいです。
特にヘンリー役のライアン・ゴズリングは、好きな女性がダンスをするのを外が雨降る中、ガラス越しに哀しげに見つめる。
その哀しい目が、この人は凄い。『16歳の合衆国』でもなにもかもわかってしまっているが故の哀しい目というのが印象的でした。
こういうビジュアル、だまし絵、マジック、イリュージョンの世界を堂々と映画にすることは、最近少なくなりました。
そんな中で、現代ものなのに気高い雰囲気を、テンションを保ち続けることの出来る映画は貴重です。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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