蟻の兵隊

蟻の兵隊

The Ants

2006年8月24日 渋谷 シアター・イメージフォーラムにて

(2005年:日本:101分:監督 池谷薫)

 あきらめると許す、違うようで何だか、よく似た感情です。

あきらめの先には「忘却」しかないのかもしれません。

日本と中国の間に、今でも反感の気持が絶えず流れているのは「許す」ではなく「(過去の事は)あきらめろ」と言ってくるのを「許さない」感情のように私は思うのです。

 前作、『延安の娘』で中国、文化大革命時代の下放先で産まれてしまって置き去りにされた1人の娘、海霞が北京の実の両親に会いに行くという事を追ったドキュメンタリーでした。

今回は、1945年、終戦後も、中国に残留を命じられ戦った兵士の1人だった、奥村和一さんが、国はあきらめろ、忘れろ、と言ってくるのを「絶対に許さない」という強い気持でその証拠を探す課程に密着したものです。

 何故、奥村さんはあきらめられないのか・・・・それは、終戦後も日本軍が存在していたという事実を国が認めればポツダム宣言に反する事になるので、奥村さんたちは「自分たちの意志で残留した」という事になっているのです。

しかも、残留を命じた上官は、兵士たちを置き去りにして早々に日本に帰国してしまった事実。

 奥村さんの中には、鬼となるように教育され、洗脳した戦争というものだけでなく、上の勝手な命令で、自分たちの意志に関係なく「鬼」といまだに憎まれている日本人であることが、許せないのです。

 過去の嫌な思い出は、出来れば忘れたい、自分に都合の悪い事はなかったことにしたい、戦後60年以上経ってもう、当時の兵士たちはどんどん亡くなっていく。誰も証人にならない、証拠がない・・・奥村さんは中国へと旅立ちます。

奥村さんのように、強い気持で「追いつめる」気力のある80歳はそうそういないと思います。現に、証言してください、とお願いに行った先では「話したくない、昔の事だから忘れた」と拒絶されます。また、中国に行けば、ここで日本軍がどんなに過酷な事をしたか・・・それを、奥村さんは受止める。しかし、話の中では、「何故、その場を逃げ出したのか!」と鬼のように逆に中国の人を問いつめる奥村さんもいます。

その夜、「自分の中にまだ軍人が残っていた。今日、それを実感した・・・」とホテルで話す奥村さんには、自分の中に眠っていた軍人に気づいた事に傷ついた悲しみのようなものが見えます。徴兵されて中国へ行かされ、残留させられた被害者と同時に、中国人を虐殺した加害者であることの苦しみがひしひしと伝わってくるのです。そして誰が、何が、そんな悲劇を招いたのか、それを見つめます。

綺麗事、美談はいくらでも創作できるのでしょうが、「嫌われても、疎まれてもいい、とにかく真実を!」という強さに追ったドキュメンタリーでもあります。

 戦争はどんな時代、国であっても悲惨であって、奥村さんが主張している事は氷山の一角どころか、砂漠の一粒の砂、なのかもしれません。

しかし、あきらめきれない悲しさと怒り・・・それは奥村さんの一生を台無しにしてしまった。1人の人間の尊厳を針の眼で追うドキュメンタリー。

なんだかんだいって、目先の事しか考えられない日本人の愚かさを浮き彫りにします。60年間という平和に浸りきってふやけてしまった日本人。靖国神社で、軍隊コスプレをしてはしゃいでいる若い「戦争好き」たちが一番、ふやけた平和ボケの馬鹿なのではないかと思います。

それを黙って見つめる奥村さんの目は怒りよりも、悲しい、でした。

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