アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶
Henri Cartier-Bresson Biographie d'un regard/The Impassioned Eye
2006年8月23日 東京都写真美術館ホールにて
(2003年:フランス=スイス:72分:監督 ハインツ・バトラー)
ロバート・キャパと共に報道写真配給会社、マグナムを創立したカメラマン、アンリ・カルティエ=ブレッソン。
2004年95歳で死去。このドキュメンタリーが撮られた時は93歳でした。
世界をめぐって決定的瞬間をとらえた報道カメラマン・・・・というイメージからはほど遠い、白衣を着せたらお医者さん、という静かな小柄な素敵なおじいさんです。
凄いな、と思ったのは、ループタイをこれだけ着こなしている人は初めてだと言う事です。どうも、ネクタイでなく紐のループタイって「嫌味」に感じてしまうのに、アンリ・カルティエ=ブレッソンは「粋」と思わせるものがありました。
このドキュメンタリーは、決してカメラの前に立つことをしなかった写真家がやっとカメラの前に立ったということもありますし、高齢ということもあって、カメラはアンリ・カルティエ=ブレッソンのアパートの室内しか映しません。
過去の写真のプリントを見せながら、その当時の説明をする、というだけのもの。
それだけ、なのに、何故こんなに魅せられるのか。写真の持つ力というのもありますが、飄々としてユーモアを交えた穏やかな口調とは裏腹にその写真は激動の20世紀の瞬間を写したものばかりだからです。
それを、白ワインを飲みながら、ココ・シャネルの時は、ちょっとした一言で怒らせちゃってねぇ~なんて、話す。
報道写真の他には、風景写真やポートレイトがありますが、被写体となった人は、ココ・シャネル、ユング、アンリ・マティス、トルーマン・カポーティ、サルトル、カミュ、エディット・ピアフ、サミュエル・ベケット、マン・レイ、ストラヴィンスキー、マリリン・モンロー、アルベルト・ジャコメッティ、日本人では丹下健三(代々木体育館などの建築家)、ガンジー・・・・・本当に会って写真撮ったのですか?と聞きたくなるような面々。
しかし、さすがに93歳。1908年生まれですから、20世紀を駆け抜けた人なのでした。
また、フランスの映画監督、ジャン・ルノワールに自分の写真を見せて、『ゲームの規則』などの映画の助監督もしています。
主に風景よりも、人物ショットのシーン担当だったね・・・と語っていますが、『ゲームの規則』の映画の画面構成はいつもきっちり綺麗です。
ライカでスナップショットという形で、構える事なく瞬間的に「時間と空間」を切り取る。「構図が決まっていれば、トリミングなんていらない」と断言する自信。
ガンジーの死の2日前、中国清朝崩壊寸前の中国、日本にも来ていますが、歌舞伎の市川団十郎の告別式(1965年)とか、何故、この人はこの瞬間にその場にいたのか?という不思議を感じます。
また、風景の写真もどこかユーモアにあふれていて、家族(妻と娘)は出てこないのですが、幼い娘が大きなペルシャ猫を抱いているというか、つぶされているような写真一枚で、もう家族への思いがわかってしまう、という凄さ。
一番話題になりそうな、キャパとのマグナムについての話は一切しない、というのもいいですね。
あくまでも、これはアンリ・カルティエ=ブレッソンという人のドキュメンタリーだからです。このドキュメンタリーは、ブレッソンという人柄を出したかったのだと思います。波瀾万丈だった若い頃の武勇伝、自慢話などしない、穏やかな1人の老人、それを見つめています。
報道カメラマンというと、武勇伝がつきものなのですが、この人はそんな気負いが全く感じられない。
とても大人の雰囲気のある、節操あるドキュメンタリー。観ていて、気持いいのです。
「写真を撮るときは、相手にカメラを意識させないことだね。君(ドキュメンタリーのカメラマン)もそうでしょ?」という言葉からもわかるように、被写体となった人は皆、構えていません。アンリ・マティスは、鳩をぎゅっと握って何か考えている。
マリリン・モンローは視線を泳がせて、何かを考えている。まだ少年のようなカポーティは、疑るようにカメラを見ている。ジャコメッティは貧乏そうです。メキシコの娼婦は窓から半身を乗り出して、にま~と笑っている。市川団十郎の告別式の女性達は皆、ハンカチを目にあてていてカメラなんて意識していない。
意識させない雰囲気、というのはこのドキュメンタリーからも十分わかります。このドキュメンタリーの作り手がアンリ・カルティエ=ブレッソンを尊敬している、というのがよくわかる、というのもいいですね。声高にメッセージを送るだけが、ドキュメンタリーではないのです。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
0コメント