ニーハオ 鄧小平
2006年8月20日 千石 三百人劇場にて(中国映画の全貌2006)
(2004年:中国:91分:監督 ロアン・リュウホン、リュイ・ムーツ)
これは中国の公式ドキュメンタリーです。なにかと国の規制の多い中国映画なのですが、あれがダメ、これがダメ・・・ならば何がいいのですか?という興味がありました。
中国の鄧小平氏のドキュメンタリーについて、書いてあることを読もうとしている、今、パソコンの前に座っている貴方・・・日本だけで公開された非公式のドキュメンタリー『失われた龍の系譜』こちらも読んでいただきたいです。
公式ですから、鄧小平氏について悪い事は一切出てきません。良い面、有能な政治家であった鄧小平氏を語るナレーションです。
かといって、妙に誇張された白々しい讃美の言葉の嵐であるか、というと意外と淡々とした語り口なのです。
ちらちらっと垣間見えるのは、「三度の失脚を乗り越えた政治家」「軍人出身で、政治家としては軍事に関わっていた期間がほとんどである」といった外見からは、わからなかった「したたかな人物」特に軍事に関わっている所が多く映し出されます。
三度の失脚の度に復帰して、頂点まで登りつめた。それなりの「何か」があるのです。軍事に強いという部分が大きかったのかもしれないと想像します。
どれだけの人が、一回の失脚で消えていったのか、それは私にはわからないのですが、只者ではない、という事はわかります。
また、この映画で強調されているのは、「謙虚さ」です。攻撃よりも守りの人だった、という事が出てきます。
しかし、一見、小柄で、押しが弱いような風貌の影に隠れている牙のような鋭さがあります。
やはり、この人は「軍人」なのでしょう。
失脚、復帰を繰り返し、その度に批判され、おとしめられたり、手の平返したように持ち上げられたり・・・なんとも浮き沈みが激しい。
文化大革命を描いた中国映画でびっくりするのが、この手の平返したような立場の逆転というものですね。
讃美の言葉の影に見える、1人のしたたかな人物。映画は中国向けなのでしょう、中国の現代史を知っているという前提があって、順を追って紹介されず、年代はいったりきたりします。
そして、映画はひたすら近代化を目指す、近代化しつつある中国を強調しています。
近代化の裏にあるものは、描かれない。描いてはいけないポイントかもしれません。
また、讃美であるにしてもこの人の一生は波瀾万丈です。16歳の時に別れた弟と再会したのが、90歳近くになってからだった・・・というエピソードがありますが、では何が何十年という間、兄弟を会わせなかったのか、までは描いていないのです。
やはり公式となると、「追って追って追いつめる」という姿勢は許されないのかもしれません。特に失脚したあたりは、避けて隠蔽しているような歯がゆいような気もしますが、中国のある一面ということで、興味深く観ました。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
0コメント