太陽
The Sun
2006年8月11日 銀座シネパトスにて
(2005年:ロシア=イタリア=フランス=スイス:115分:監督 アレクサンドル・ソクーロフ)
日本では決して作られることのない昭和天皇を描いた映画。日本が製作にかかわったら、こういう映画にはならなかったと思います。
それは、やはり天皇や皇室を描くとなると、政治思想的に地雷をばんばん踏んでしまうからです。
私は、右翼でも左翼でもないし、皇室ファンでもなく、「○○さまぁ~~~」と追っかけをする気持もないです。
昭和30年代生まれの私は、天皇は日本の象徴である、と学校で習ったのですが、「象徴」って何だ?そのせいなのか、皇室というのは正式な場しか私たち日本人は見せられず、謎の部分がまだ多い、日本で唯一の謎の家系なんです。
この映画は、現人神として戦争の象徴だった昭和天皇が、敗戦により、人間である、と宣言するまでの1人の人間ドラマであって、戦争映画でもないし、敗戦映画でもありません。
昭和天皇は、英雄でもなければ、悪役でもない。批判も讃美もしていない。声高な事は一切、描きません。
ソクーロフ監督の『ファザー、サン』とよく似た路線の映画です。
映像はセピアがかった色あせたフィルムのような色合いで統一。敗戦直後で、皆を疎開させた皇居には天皇(イッセー尾形)と侍従長(佐野史郎)と老僕しかいない。女性で出てくるのは、最後の方で、皇后役の桃井かおりだけで、女性が出てこない映画です。
ごくごく限られた空間だけの人間ドラマ。『ファザー、サン』は父と子でしたが、この映画では「天皇と侍従長」「天皇とマッカーサー元帥」といったやはり2人だけの空間の映画。
昭和天皇は、日本で最高の「戦争責任者」しかし、その生活は実に退屈なのです。
朝起きてから寝るまで、すべて侍従長が行動を決める。老僕が何もかもお世話をする。繰り人形のように現人神をしている様子。
しかし、敗戦となり、その戦争責任をどうするのか、日本で一番重い責任を負っていた人・・・と映画は天皇に対しては比較的好意的に描いています。
他の国の独裁者のように、権威を振り回さず、質素で知的な生活を好み、汚い言葉は使わない。清廉潔白な地味な人。
しかし、昭和天皇を演じたイッセー尾形のなりきりぶりの凄いところは、歯茎がどす黒いということです。
食欲もなく、睡眠不足に悩み、顔色悪く、動作も鈍く、息がくさい・・・とぼそっと言う。そんな不健康さに戦争を感じます。
侍従長はあくまでも、「主上(おかみ)は神であらせられますから・・・」と現人神を強調するけれど、もう、うんざりな様子。
怒る気力ももうなくしているただの人です。
皇居も一部、空襲され、地下壕もある皇居で、今日一日の予定を侍従長から聞かされる天皇。するとぼそと「アメリカが今日、ここに来たらその予定はどうなるの?」嫌味でもなく、純粋な疑問として問いかける口調が、冷静で平坦で天皇の憂鬱がよくわかるシーンです。
いつも口をもぐもぐとさせ、ある意味誰も話す人がいないので、何を言っても半分独り言のような口調。
「あ、そう」という言い方。昭和生まれの人は、この「あ、そう」の絶妙なタイミングに驚くと思うのですが、今まで映画で出てきた天皇で「あ、そう」を言ったのは初めてで、先に書きましたが、日本が製作に関わっていたら、こんなこと許さないと思うのです。
しかし、マッカーサー元帥との会見。英語が出来るので通訳はいらないのに、現人神なのだから、日本語を話して下さい、と言われてしまう。
しかし、訥々とした英語で話す天皇。
この映画のどこまでが本当で、どこからがフィクションなのか、日本人だからこそわかる天皇の存在感と、日本人なのに何も知らされていない戸惑い・・・そんなものを感じます。戦争責任がどうだとか、そういう事を描いている訳ではないと、私は思いますが、いくらでもこじつけることも可能です。
映像が、光と影を見事に使った綺麗な映像です。狭い空間だけれども、ランプの明かり、蝋燭の明かり、一番好きなのは、アメリカ軍の写真撮影に応じる(つまり人間である、と公表する)時、皇居の入り口に頼りなさ気に立つ天皇とその奥に立つ侍従長の黒い影。手前にはアメリカ軍の兵士がいる。このくっきりと陰影あるシーンを始め、色々なシーンで陰影があり、それが地味だけれども、美しくて奥行きのある映像の連続。
また、天皇が悪夢にうなされるシーンで唯一、戦争のシーンがあり、爆撃機が魚になり、卵が爆弾となり、焼土と化した東京が水底のようにゆらゆらとゆがんで見える。そのシーンは、CGとはいえ、映画の雰囲気を壊していません。
これを退屈、ととることも可能です。この映画は、天皇という退屈な窮屈な生活・・・退屈を描いた映画だから。
イッセー尾形のなりきりぶりに近い演技というのは、もの凄いものがあります。体の細かい動きが、リアリティあって、本当にこういう人だったのか・・・と思わせるものがありました。疲れている人の演技ってこの人、上手いから。
どんなに淡々とした映画でも、もう、この映画はイッセー尾形出ずっぱり。
また良かったのが、侍従長の佐野史郎。その立ち居振る舞いが、普通でなく慇懃で、圧倒されます。佐野史郎は、役だけでなく、マッカーサー元帥の米軍通訳役の人がロシア人だった為、英語と日本語両方の吹替えも担当しています。
この映画は、存在は知っていたのですが、日本ではまず、公開されないだろうと思いました。
しかし、単館でも公開されて、大変な人出。やはり皇室というのは「興味深いもの」なのだなぁ、と思いました。
監督はこれは芸術映画であって、政治映画ではない、と言っているので、政治思想的にきゃあきゃあ言うのはちょっと勘違いかな、と思います。挑発するような事は慎重に避けているのです。そこを変に意固地に深読みしそうな人がいそうで、それが怖いなぁ、と思います。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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