アンドレイ・ルブリョフ

アンドレイ・ルブリョフ

Andrei Rublyov

2006年8月7日 千石 三百人劇場にて(ソビエト映画回顧展06)

(1967年:ソビエト:182分:監督 アンドレイ・タルコフスキー)

1969年 カンヌ国際映画祭 批評家連盟賞受賞

 ロシア最高のイコン(聖像画)画家と呼ばれるアンドレイ・ルブリョフという実在の人物。しかし、その生涯については記録がほとんど残っていない所をタルコフスキーがひとつの映画として作り上げました。ですから、決して伝記映画ではありません。

全編、モノクロームというより、少しセピアがかった黒っぽい色で統一しています。

セルゲイ・パラジャーノフ監督が、グルジアの詩人、サヤト・ノヴァの生涯をイメージとして映画にした『ざくろの色』のとよく似ています。

 映画は10章に分れています。

1400年。

冒頭、いきなり手製の熱気球に乗って空を飛ぶ男が映し出されます。大きな気球から見える美しい風景。

そして、絵を志すアンドレイ・ルブリョフたちの旅。教会での最後の審判を描く事への苦悩。目にする異教徒たちの姿。そしてアジア系騎馬民族タタール人による攻撃と侵略。苦悩のアンドレイが、救いをみつける鐘の音。そして、ラストはカラーでアンドレイ・ルブリョフの絵をなめるようにじっくりと映し出す。

 撮影が、とても大がかりなのに少しびっくりしました。カメラは丁寧に美しく動き回り、建物の外から中へ入り、また外で出るまで1シーン、1カットで色々なものを見せる。窓の外に馬が立っている風景がちら、と見えるだけでもその絵は完璧なのです。

大変贅沢な映画だと、冒頭から思う。

 そして、アンドレイが出合う異教徒達の夜の祭り。全裸の男女が松明を手に川へと入っていく。それは夢のようであり、でも夢ではない。

松明の炎と川の水。そして全裸の男女が森のなかを疾走する姿。

 また、教会の壁画の仕事を終えた所で、タタール人の襲撃がある。しかし、これは、ロシアの大公が、双子の弟にその座を狙われ、タタール人と手を組んで、大公の座を奪おうとした策略でした。残虐な殺戮、破壊される教会。燃え上がる壁画。

しかし、新しい大公は、画家たちに絵を描かせてはその目をつぶす、といった残虐な事を辞さない。タタール人たちとも、相変らず手を組んだままで保身に走っている。

 このタタール人襲撃あたりの、ロケの壮大さは、黒澤明監督映画の馬のシーンよりも大がかりなのではないでしょうか。

手前に馬が走り、しかし、そのまた向こうの川の対岸でも、たくさんの馬が走っているという壮大でそれがまた絵のように構図が決まっている。タタール人はキリスト教徒ではない異教徒です。しかし、その将軍は、なかなかの人物で、キリスト教とはなにか、宗教画とは何か・・・そんな疑問を素直に問いかける。そんな中、1人の女性を救う為に、殺人をしてしまったアンドレイは自らを罰し、無言の修行に入ります。

ここで、主役だったアンドレイは、事を見守る第三者に転換する。

 そして1423年。新大公は、自分の威信を示すため教会に鐘を作ることを命ずる。しかし鐘を作る職人の村は疫病で全滅状態。ひとり、まだ少年ともいえる生き残ったボリースカが、鐘を作る責任者となり、鐘作りが始まる。この最終章の主役はボリースカという少年。

この鐘を作るシーンがまた壮大なんです。粘土を探す所から始まり、大きな足場をつくり、窯をつくり・・・・ひとり、責任を背負っている少年、ボリースカの姿を、遠くからいつも見つめているアンドレイ。大きな足場から、一瞬見える遠くの風景で、教会を中心にたくさんの人が働いている姿を贅沢にも一瞬だけ見せる。まるでブリューゲルの絵のように。

森の中にはいつも小川があり、教会は川の側の丘の上に建っている。雨が何度もふり、その雨は自然の雨というより、水を見せるひとつの道具のよう。

カラーだったらもっと綺麗なのかもしれない、とも思いましたが、モノクロにしたことで、より明暗がくっきりとしてアンドレイ・ルブリョフの苦悩が浮かび上がる。

 そして鐘が鳴る瞬間の緊張感。その至福の音で、アンドレイは救われ、また、ボリースカはひたすら泣きじゃくる。緊張と安堵が見事に画面から発せられるその鐘が鳴る瞬間が、この映画のクライマックスです。

 この映画は、歴史的に記録のないものを、しかも宗教を描いているということと、タタール人をただの蛮族と描かなかった所など、論議を呼び、上映は5年間禁止されました。

監督が描きたかったのは、宗教とは何であるか、とか、ロシアの歴史の中で、タタール人が蛮族でなく、ロシア大公同士の血みどろな争いの結果であるとか、そういう事ではなかったと思うのです。

 あくまでも、1人の芸術家、アンドレイ・ルブリョフの心象風景のひとつとしての、教会であり侵略だったと思うのです。

それは、全編が奥行きのある素晴らしい、優れた、大胆な構成力のある映像で貫かれているのに気がつかない人もいるのでしょう。

 ラストシーンは、馬たちが朝もやの水辺に立つ風景です。こういうラストの描き方はタルコフスキー監督らしい、深い美しさ・・・水辺に立つ物言わぬ馬たちの清廉な姿に、この映画の崇高さが現れていると思うのです。

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