レディ・イン・ザ・ウォーター

レディ・イン・ザ・ウォーター

Lady in the Water

2006年9日28日 有楽町 国際フォーラムにて(試写会)

(2006年:アメリカ:110分:監督 M・ナイト・シャマラン)

 M・ナイト・シャマラン監督の映画で間違っているのは、宣伝だと思います。

過去、『シックス・センス』の大ヒットがあったにせよ、その後私が観た『サイン』や『ヴィレッジ』など、いつも「ハリウッド超大作、驚愕のラストの大ミステリー!!!」みたいな大宣伝をさんざやった後に、不健康なちまちまとした小世界・・・これでは、宣伝につられてワクワクしてしまった観客は、がっかり必然なんです。映画が悪いのではなく、売り方がまずいのだと思うのです。

シャマラン監督は、映像に凝り、細かいディテールに凝り、大層な大義名分など振り回さず、ヒーローも出さず、いつも悩める主人公、胸のすくようなさっぱりとした、明快な世界は作らないのではないでしょうか。映画の出す温度は低い・・・というかヌルい、といってもいいような。

アンチ・ハリウッド的な内容なのに、貼られるレッテルはハリウッド超大作。この矛盾は、さすがにもう観る側がちゃんと見抜かないといけません。私はこのちまちまとした監督の世界は好きなんですけど。

 この映画は撮影がクリストファー・ドイルであるとは知りませんでしたが、映画を観てみると、今回は中庭にプールのあるマンション、集合住宅で起きる不思議な出来事を描いていて、部屋の中を凝りに凝って映したり、マンションの廊下をたくさん映したり・・・といった、インドア的な描写がとても多いのです。クリストファー・ドイルってそういう映像、特に上手いから、撮影は納得だし、あまり直接的に描かない、といった撮影も多いのです。

 さて、主人公はマンションの管理人。様々な国の人々が暮らすマンションでは、管理人さんも大変ですが、もう生きる望みを失ってしまっている中年男(ポール・ジアマッティー)は、淡々と仕事をこなすだけです。

しかし、プールで夜、水音がする・・・といったことから、プールから、ナーフ(水の精)、ストーリーという名の少女(ブライス・ダラス・ハワード)が出てくる。

何が何だかわからない主人公ですが、少しずつ、ナーフの事がわかってきてどうにか救おう、という話です。

ナーフを救う方法というのは住人の韓国人の中年女性が語る「東洋のおとぎ話(Bedtime Story)」なのですが・・・どうにもこうにも、話は進みません。やがて、記号論者(シンボリスト)、守護者(ガーディアン)、職人(ギルド)、治癒者(ヒーラー)の役割を担う人々がマンションにいる、それは誰か・・・になるのですが、この役割って所がえらく理論的で、西洋的思想のようで、いわば監督が作り出したおとぎ話。

おとぎ話の割には、理屈っぽく、理路整然としているのですが、話のテンポはイライラするほどちまちましています。

本当にシャマラン監督は、内側へ内側へと自分の世界を広げているタイプの監督なのではないかと思います。つまり、インディペンデント映画の雰囲気なのです。それを大仰にやってしまうとちぐはぐしたものがどうしても出てきてしまうのかもしれません。

 話だけ追っていくと線が細いのですが、私は撮影が良かったですね。突然、ぷしっと動き出すスプリンクラーの緑の芝生のびっくり。

そして、携帯電話を使わず、無線でやりとりするとか、あえて最新の機能を駆使しないやり方を通しています。

また、ナーフの敵となる怪物が出てきますが、これも最初は姿を全く見せず、ちらりちらりと時間をかけて姿を現わすという典型的な怪物の出現のさせ方。結構、アナクロな映画なんです。

 そして、何を描きたかったのか・・・はやっぱりこうきますか・・・救うものは救われる。

謎や怪物よりも、ひとりの人間の救い・・・そんなものを見つめたさらに、小さい世界を描こうとした努力が見える映画で、これはこれで、ひとつの世界だと思います。

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