46億年の恋

46億年の恋

2006年9月27日 シネマート六本木にて

(2006年:日本:84分:監督 三池崇史)

 映画で、「詩的」とはどんな事でしょうか?

この映画は、遠藤憲一の朗読する詩から始まるように、「詩」または「詩的」なものとは何か。映画での詩的なものは何か?

私は、ストーリーよりも映画全体から立ち上る湿度の高い、熱気にあふれた、国で言うなら東南アジアの熱帯地方のような温度がずっとスクリーンから発せられているのに驚きました。

 いつでも雨が降っているように出てくる人物たち、特に囚人の青年たちは、常に汗に濡れ、雨に打たれ、濡れている。または、犯罪を犯した時の主人公、有吉淳(松田龍平)は、返り血を全身にあびて血まみれです。

いつも雨が降っている『ブレード・ランナー』のような憂鬱感が漂い、そこでうごめく人物たちは、笑わない。

 作り込まれた世界。閉ざされた世界。少ない登場人物。収監された囚人たちとそれを監視する男達しか出てこない世界。

汗にまみれた男達の肌は、時にエロチックで時に汚らしい。汚れていても、美しい顔立ちの青年たち。

そして、有吉が惹かれる青年、香月史郎(安藤政信)は、常に野獣のような目つきをして、何かあれば壮絶な暴力をふるう。

誰もかなわない程の香月が殺される。誰が、何故殺したのか?

話はこれだけなのですが、この映画の醸し出す空気と色合いは常に舞台的でありながら、生々しく訴えかける。

 三池監督は、色々なジャンルの映画を作り出すのですが、『IZO』では、壮絶な殺戮シーンをひたすらみせながらも、そこには美学があったような気がします。その美学は大変、鋭くて生やさしい気持で観ると観る側がばっさり斬られてしまうような美学でした。

これを美学ととるか、悪趣味ととるか・・・ギリギリスレスレの所が『IZO』だったのですが、この映画は、一歩間違えれば悪趣味を、一歩間違えれば哲学、に昇華させていると、私は思うのです。

 主役の2人の相反する「美しさ」と「凶暴性」も良かったのですが、(安藤政信は松田龍平は撮影の時、ずっと女の子みたいに綺麗だった、と語っている通り)、監視する側の石橋凌、石橋蓮司、遠藤憲一の不気味な程の落ち着き、そして、松田龍平の影のような存在になる、窪塚俊介の追いつめられた動物のような雰囲気とか、男の色々な雰囲気がぎゅっとつまっているような、この映画は「斬られる」のではなく、下手すると「窒息してしまう」映画です。

 私は詩的、ということを映画で考えるとき、いつも出てくるのが、「空気や温度がしっかり出ている」・・・つまり台詞やストーリーでは語れないスクリーンから発せられる「温度」であろう、なんて思うのです。

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