紙屋悦子の青春
2006年9月26日 神保町 岩波ホールにて
(2006年:日本:111分:監督 黒木和雄)
戦争、というのは特殊な状況であって、それ故に映画やドラマといったものになりやすいのです。
しかし、私が映画を観るようになった中学生の時はたまたまですが、アメリカではベトナム戦争映画がやっと解禁になり話題になった頃でした。さわやかで、胸のすくようなベトナム戦争映画などなく、そこにあるのは、泥沼の狂気・・・私の戦争映画原体験はベトナム戦争映画なのです。
しかし、時代はかわり、アメリカは新たな戦争を続け、世界も変わってきました。そして、第一次世界大戦、第二次世界大戦といった昔の戦争は、体験者が少なくなり、本当の事を知らない世代が、世界を動かし、映画を作り、その映画の観客となる。
私も、年齢的にはさすがに、戦争は体験していませんが、ベトナム戦争終結を告げる新聞の一面がカラーで大きく鮮やかだったことを子供ながらよく覚えています。
戦争を映画にするのは別に悪い事ではありません。様々なドラマがあり、いくらでもドラマチックにできる世界。いくらでも英雄や美談は作れるでしょう。
しかし、私は、戦車や爆撃機や銃など、格好いいとも憧れとも思ったことはありません。
橋本治の著書『二十世紀』で、「軍服を格好いいもの、憧れるようにしようと最初に思いついたのは、ナポレオンである」と読み、なるほど、と思いました。軍服、兵隊さんは格好いい、憧れ・・・中身でなく形から戦争を格好良くしたのはナポレオンだったのか・・・と。
私が危惧するのは、まさにナポレオンが考え出した「形から入る戦争」を何も考えずに喜び格好いいと娯楽にしてしまう観客の意識です。
特に、アメリカは、今現在も戦争をしているのに、「アメリカの正義」をふりかざしているのに気づかず、「ハリウッドスターがかっこいい、女優さんが綺麗、戦車や爆撃機が格好いい」と中身を全く考えない若い観客目当ての映画が作られようとしているのです。
うるさい事を書くと自分でも思いますが、「格好いい戦争が大好きな僕たち」や「白人じゃなきゃ、格好良くない。アジア人なんか見たくない」というレベルの低い意識で、つまり形で戦争映画を語らないで欲しいと思うのです。
しかし、映画はハリウッドだけではありません。これは私の信条とも言える事なのですが、様々な国で様々な戦争映画というのは作られています。
黒木和雄監督は、今年2006年4月に亡くなられたのですが、『Tomorrow明日』『美しい夏 キリシマ』『父と暮らせば』で戦争レクイエム三部作を作った後の遺作となったこの『紙屋悦子の青春』も戦争レクイエム、戦争を憂う立派な戦争映画なのです。
原作は、松田正隆の戯曲です。
登場人物も少なく、格好いい爆撃機や軍艦や戦車など出てきません。人を殺戮するシーンなどもありません。
あくまでも、終戦間際の昭和二十年、鹿児島のある一家の中だけを描いています。美術は木村威夫。
紙屋家の主人(小林薫)、その妻(本上まなみ)、そして、主人の妹である悦子(原田知世)。
この3人の食卓を囲んだ会話の中ににじみ出てくる戦争の姿。兄妹の両親は、たまたま東京に出た時に東京大空襲に遭い亡くなっている。
父親かわりになろうとする兄、しっかりとした妻。妻とは女学校の同級生で仲の良い妹。3人は、肩を寄せ合うようにして、食料が少なくなってきた、敗戦の色が見え隠れするようになった空気を感じながらも口に出さず、暮らしている。
しかし、その会話は大変、微笑ましく時にユーモラスです。お互いの事を思い合っているというのがよくわかる会話の数々。
そして、悦子にお見合いの話が出る。それは悦子が親しくして、慕っていた海軍の明石少尉(松岡俊介)が、親友を紹介すると言い出したのです。その親友が、永与少尉(永瀬正敏)
何故、明石は親友を悦子に紹介するのか、というのは、映画では「飛行機乗りだからな」つまり、特攻隊として出撃を控えている身だからです。永与は整備担当なので戦地に行く可能性は低い、それでもこの先どうなるかはわからない。
そんな中でのお見合い。
お見合いは、永与は緊張のあまり喋る事が出来ない。悦子も恐縮している。そんな間をとりもとうとする明石。この3人の様子がまた、微笑ましく、また時代は戦争中でありそんなに派手な事は出来ないながらも、悦子は、とっておきの小豆と砂糖でおはぎを作る。
机の上には、おはぎの乗った皿しかない。話もはずまないなんともきまずい緊張感が、ずっと続きますが、永与と悦子のなんとも誠実な様子がとても美しく思えます。話は上手くできなくても、永与はきっぱりと「あなたを1人にしません」と言い切る。そして悦子は「いつまでも待っています」と答える。
日本人の持っていた奥ゆかしさというものがしみじみする映画で、出てきた5人の俳優さんは、1シーンがとても長くて会話を自然につないでいくというのは大変だったと思います。しかし、なんのケレン味もない自然な会話の底に流れている戦争の影、それはくっきりと浮かび上がってきます。
それは、実際、子供時代、戦争を体験した黒木和雄監督ならではの静かな怒りであり、また、この原作戯曲は、作者の母をモデルにした話だといいます。
見終わった後、本当に戦争とは・・・と考えさせられる映画で、語り口の上手さと役者の演技の力、それが結集した映画であると思います。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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