シュガー&スパイス 風味絶佳

シュガー&スパイス 風味絶佳

what little girls are made of

2006年9月24日 TOHOシネマズ市川コルトンプラザにて

(2006年:日本:125分:監督 中江功)

What are little boys made of?

What are little boys made of?

Forgs and snails

And puppy-dog's tails.

That's what little boys are made of.

What are little girls made of?

What are little girls made of?

Sugar and spice

And all that's nice.

That's what little girls are made of.

(おとこのこって なんでできてる? 

 おとこのこって なんでできてる?

   かえるに かたつむりに 

   こいぬのしっぽ

 そんなもんでできてるよ

 おんなのこって なんでできてる?

 おんなのこって なんでできてる?

   おさとうと スパイスと

   すてきななにもかも

 そんなもんでできてるよ)   『マザー・グースのうた』谷川俊太郎訳より

 引用が長くなりましたが、この映画のタイトルと副題は、マザー・グースからです。原作は山田詠美。

そう、女の子は、おさとうとスパイスとすてきななにもかもでできているのに、男の子は、かえるとかたつむりと子犬のしっぽなんであります。

 この映画は、少年がジェントルマンになる為に、という映画だと思うのですね。

ただの10代の若者の恋愛もの、というより、女の子がわからない男の子は、好きになったらどうすれば良いのか。

そして、恋愛を経て、変わるものは何か。本当の大人になるためには何が必要なのか?

「いつまでも子供でいたい」の逆を行く、「早くいい大人になりなさい」という映画で、これは原作の山田詠美の世界をよくあらわしています。

 米軍横田基地のある福生に住む高校生、志郎(柳楽優弥)は、まだ恋を知らない。友達が、好きだ!ふられた!と騒いでいるのを、慰めるために自転車をふっとばし、ビデオ屋に行き、アダルトビデオを調達して・・・・なんて事をしている。

志郎は、友人たちが大学に行くのに、ガソリンスタンドで働く事を選ぶ。これが一生の仕事ではないにせよ、すんなり大学に行きたくないからです。もちろん両親は反対。しかし、志郎には強力な協力者?がいる。

それが、祖母であり、グランマとお呼び!!!!とアメリカ人相手のバーを経営する、格好いい不二子(夏木マリ)

 グランマは、派手な格好をして、アメリカかぶれで、まっ赤なスポーツカーを乗り回し、「必需品」と呼ばれる若い愛人をいつも連れている。

今の必需品は、アジア系青年のマイク(チェン・ボーリン)

ガソリンスタンドで働くなんて!と怒る父(光石研)に、「ツ、ツ、ツ、ガァス ステイションと言いなさい。いいじゃないの、ガァス ステイション」

ぶっとび祖母には、両親も負けてしまう。

 ガス・ステーションで働く事になった志郎は、バイトで入ってきた年上の大学生、乃里子(池尻エリカ)と出合う。よくあるパターンですね。

バイト先で出合うって。

とっても可愛い乃里子にひかれてしまった志郎。おつきあいが始まりますが・・・・恋なんてそんな甘い事ばかりではなかった。

 志郎にとっては初恋になるのでしょうが、グランマという大人の存在があるので、志郎は何かと「女の子とは何か」のヒントをもらう。

でも、グランマは、丁寧に教えてはくれない。ただ、いいんじゃないの?と傍観しているだけです。

志郎はグランマから、ジェントルマン教育をされているから、そこそこに女の子に親切にできる。荷物をさりげなく持ってあげたり・・・でも、志郎は自分が好きなのだから、と相手を信用して待っている事しかできない。

乃里子は、前の彼氏とまだわだかまりがあることが理解できない。

ただ信じて待っているだけの優しい男の子。

 それに比較して出てくるのが、グランマの必需品、マイクことチェン・ボーリン。あまり喋らないけれどグランマの側にいる。

そして、志郎が八つ当たりをして怒り出すと、グランマは涼しい顔。すぐにマイクが、「孫だから甘えて!」と飛んでくる。

マイクがそうやって守ってくれるのが当然であり、当然になるような関係をグランマは築ける、ということですね。

マイクの方が、志郎よりもジェントルマンです。

そして、元の彼氏の水野。一度は別れたものの、強引さでもって乃里子に迫る、それはわがままというより、ケンカや誤解やわだかまりを乗り越える事の出来るタフさの証拠なのです。

 「今にも壊れそうなものがそこにあった時、それをやさしく丁寧に扱うことしか、僕にはできない」

志郎は、健気で、真面目で、優しくて、一生懸命だけれども、ただただ、相手を傷つけないように優しくすることしかできない線の細さがあります。まだまだ甘い砂糖しか受け入れられず、女の子のスパイスには、不慣れ。

その線の細さ、というのが柳楽優弥というのは実にぴったりなんですね。若さはその自転車の乗り方ひとつにも現われていますが、まだまだ自転車で、車は乗れない。マイクや車を運転する水野といった、年上の男たちはどこかしら線が太い。

 本当の恋とは「もう二度と顔を見たくない人がいるかどうかだね」とグランマは言うけれど、そんな経験のない志郎はわからない。

しかし、このささやかな恋で、志郎はすこしだけ成長するのです。そして志郎は、19歳になる。

幕切れ、ラストの残す余韻が、そのちょっとした成長と、まだまだこれから未来はある、という素敵な余韻となって残る、余韻が素晴らしい映画。

 私なんかだと、ああ、もう、19歳には戻れないんだなぁ~なんてしみじみ、メロウな気持になるのですが、「二度と顔を見たくない人がいる」ということを、ずっと私は自分の汚点だと思い続けていました。

でも、人を嫌う、誰かをふる、人から嫌われる、誰かにふられる・・・・そんな経験がなければ、本当の大人とは言えないのではないか、といった救いのような安心感もどっと感じるのです。 

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