夜のピクニック
2006年10月9日 TOHOシネマズ市川コルトンプラザにて
(2006年:日本:117分:監督 長澤雅彦)
この映画では高校の行事ですが、学校に限らず「行事」というのは何の為にやるのかなぁ、とあまり行事が好きでない私はずっと考えていました。一番、ハードだったのは会社員になってから会社の行事としてあった「富士山登頂」であります。
もう、これが、この映画と同じく夜を徹して山に登り、八合目で朝日を見て頂上を目指すという、一度富士山にちゃんと登った事がある方はご存知だと思うのですが、「夜を徹して」っていうのはものすごくハードです。20代だった私ですら大変でした。ああ、今でも甦る、あの夜。
恩田陸の原作を前に読んでいたのですが、話はある高校の行事、「歩行祭」・・・80kmを一晩かけて歩き通すという行事だけで特に大きな事件を追っている訳ではないのですが、出てくる登場人物たちの心理描写が見事な本だと思いました。
また疲労がどんどん蓄積していく様子がリアルでした。
原作が「本屋大賞」受賞したベストセラーとはいえ、映画化は難しいかも・・・と内心思っていました。
この原作と映画の芯になるのは「気まずい2人」
といってもお互い(恋愛感情で)意識しあって気まずいのではなく、主人公貴子(多部未華子)は、異母兄妹である西脇融(石田卓也)が、同じ年で、同じ高校になってしまい、しかも3年になったら同じクラスになってしまった・・・という気まずさをもうずっと持っている。
この2人の気まずさは、周りには絶対秘密。親友といえる存在の友人すら知らない秘密。
秘密をかかえる重さ、というのがこの映画の芯です。
原作ではその2人の心理描写がえんえんと出てくるのですが、映画ではそうそう言葉では語れない。
しかし、この貴子と融を演じた2人、よかったですね。
普段は普通の高校生だけど、ある一点になると凍りついてしまうような表情、特に主人公である多部未華子は、ナチュラル感が漂っていて、おとなしいけれど、辛抱強く、ある意味とても気が強いという表情が一瞬・・・この一瞬っていうのがすごいと思うのですが、出している。
恨むわけでなく、嫌いなわけでなく、恋愛感情でもない、この2人の関係は完全に親のせいであり本人たちには罪はまったくないのに、出てしまう妙な罪悪感と嫌悪と気まずさ。
周りは、恋だの、進学だの・・・お気楽な話で盛り上がっていて、胃に重いものを抱えながらもそれにあわせなければならない高校生くらいの年齢の微妙な連帯感というか、「いつでも一緒」という盛り上がり方の見せ方が上手いです。
だんだん疲労困憊してくる中、貴子の心中はますますしんどいことになってくる。
しかし、歩行祭という「行事」があったからこそ、周りの友人たちも普段は気がつかない事にも気がついてくるのです。
ちょっとしたトリックスター的な存在の「変なやつ」有吉を柄本祐が演じていましたが、夜はロックでがんがんに元気だけれども、朝になると死んだようになる「ゾンビ人間」
高校生ですから、恋のさやあて、なんてものも出てきて、貴子の願いはかなわないかにみせておきながら、さりげなく周りが援護射撃してくるあたりのさわやかさったら。また、遠くアメリカからもさりげなく援護の手がのびてきます。
喧嘩も、事件もなにもないけれど、一晩で変わる何か・・・を青空、夕焼け、夜空、朝・・・と綺麗な映像で綴ってみせてくれます。
さて、私の「歩行祭」にあたる富士山登頂はどうだったかといいますと・・・別に決められたわけではないのけれど大阪営業所の所長さんと一緒に登ることになりました。だんだん同じペースの人が固まるのです。
そして、私がその会社を辞めるまで、大阪営業所の所長さんとは、いつも電話で話をする仲になり、仕事でも色々と便宜を図ってもらったのです。富士山の絆は固かったのであります。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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