世紀の光
Sang Sattawat/Syndromes and a Century
2006年11月26日 有楽町 朝日ホールにて(第7回東京フィルメックス)
(2006年:タイ=フランス=オーストリア:105分:監督 アピチャッポン・ウィーラセタクン)
特別招待作品
一昨年、グランプリを受賞した『トロピカル・マラディ』は、特にストーリー性はないのに、妙にいつまでも、いつまでもマラディ=熱病にかかったように心にひっかかる映画でした。
そして今年、ウィーラセタクン監督の新作が観られて、またその思いを深くしました。
監督によると一作目の『ブリフリー・ユアーズ』(グランプリ受賞でも未見)は、自分の視点、『トロピカル・マラディ』は自分自身を描き、この『世紀の光』では、両親を描いているのだそうです。
監督の両親はお医者さんだったそうで、この映画はバンコク郊外にある総合病院が舞台となります。
建物は近代的で大きな病院ですが、窓の外には青々とした水田が見渡せる・・・実際、監督が育った環境そのものなのだそうです。
『トロピカル・マラディ』でも前半、後半が、対になって鏡に映したような構成になっていましたが、今回も、二重性というものが描かれます。
描かれるのは病院で働く人々、または、患者たちなのですが、同じシーンを2回繰り返していても、最初は医者の顔が見えるところから映し、次は逆に患者の顔が見えるようなところから映す、といった手法を丁寧に積み重ねていきます。
最初は女医だったのが、後半は男性医師にかわり、前半はちょっと可愛らしい人々の様子を描きますが、後半はこの病院の地下にあるという軍人とその家族専用の病棟が舞台となり、映画のムードも変わってきます。
膝が痛いという老僧に、色々とアドヴァイスしていくうちに老僧が薬草を取り出し、「この薬草を飲みなさい。邪悪な思いが消える」と医者に渡したり、歯科医なんですけどね、実は歌手でもあるんですよ、と歌いながら治療をする医者。
村の祭りの舞台で、派手な衣装でムード歌謡を歌っているのは、よくよく見るとその歯科医だったりします。
こういったエピソードは、両親から聞いた実話なのだそうです。
研修医が面接で会った女医さんに恋して、いきなり「婚約してください」と言うものの、女医さんは自分の失恋体験を語る。
しかし、後半、病院の地下病棟に行くと、閉鎖的な空気が充満しています。煙がダクトに吸い込まれる様子をじっくり見せる。
廊下では、軍人の家族なのか、少年が廊下でテニスの壁打ちをしている。黙々と、テニスをする少年。
こういったことが、断片的なのか、というと全てがスムーズに綺麗に繋がっていて、そして音響ですね。病院の中では、どこかしらウィーンという音がかすかに聞こえ、庭に出ると、バナナの木の葉が風にゆれる音、小鳥たちの声が常に心地よく聞こえ、また、後半ではテニスのボールが壁にあたる、ドンドンという音がクリアに響き渡る。
そして風景も、静かで、透明感があって、病院というのは閉鎖的な所なのですが、外にでると広がりが見える。
ストーリーはこの映画には関係ありません。映画の作り出す、映像が、音が観る者を静かなひろがりのある世界に誘うかのようです。
カメラはゆっくりと静かに動き、人々もあくせくしていない。のどかなような、静かなような・・・そんな雰囲気が観ていてとても気持良いのです。
決して強引なことはしていないのですが、かといって、声高な主張もない。
すべては観る者が、その映像や音から何を受け取るか・・・私は音響が巧みに強調されているが故に「落ち着いた静けさ」の安心感のようなものを感じました。
後半の地下病棟では、逆に不安のようなものを感じますが、ラストは明るい曲にあわせて、人々がエアロビクスを楽しむ様子になります。
病院といっても誰かが劇的に死ぬわけではない。誰も傷つかない。静かに空気は流れていき、そしてタイトルの「世紀」とは人間の一生に値する期間だといいます。英語タイトルにはシンドロームとついていますが、病気だけではなく、人の恋する気持も、西洋医学を疑う気持も、病気といえば病気だし、それが普通だと言えば普通。
ウィーラセタクン監督はとても穏やかな知的な方でしたが、私の思う知的な人というのは、節度ある静かな人です。
余裕がみえる空気の出し方とか、実際は凝っているのでしょうがそんなことを押し付けないこの映画の空気がとても好きです。
この映画もまた、いつまでも妙に心にひっかかる映画になるでしょう。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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