マキシモは花ざかり

マキシモは花ざかり

Ang Pagdadalaga ni Maximo Oliveros/The Blossoming of Maximo Oliveros

2006年11月22日 有楽町 朝日ホールにて(第7回東京フィルメックス)

(2005年:フィリピン:100分:監督 アウレウス・ソリト)

コンペティション作品

 フィリピンのスラム街ともいうべき庶民のある街。

ここで暮らす12歳の少年、マキシモとその家族を描いた映画です。

まず、ゴミがいっぱい浮かんだ川の風景が映し出されます。そのシーンだけで、この映画の舞台はどんな所か、を一瞬で見せてしまいます。

そして、貧しいけれど活気に満ちた空気がいいです。

 マキシモは、盗品売買をしているちょっとやくざな父とその仕事を手伝っている2人の兄と4人暮らし。

マキシモは女装が大好きなホモセクシュアルです。学校も休学中で、家の事を女の子のようにマメマメしくして暮らし、荒っぽいけれど父も兄もそんなマキシモを可愛がっている様子がとてもいいです。兄たちにとって、マキシモは弟であり、妹であり、母であり、女性でもある、守ってやらなければならない大切な存在なのだ、という描写がとても丁寧。

 マキシモだけがホモセクシュアルかというと、近所には同じような女装大好き男の子がたくさんいて、ミスユニバースごっこなんかをしています。ちょっと不思議な風景ですね。

しかし、監督の話によるとフィリピンがスペインに統治されてキリスト教が入ってきてから、中性的とか、ホモセクシュアルなどが、「罪悪」「いかがわしいもの」という概念が植えつけられただけで、それ以前にあったフィリピンの民族、監督はパラワンという民族だったそうですが、男性、女性の中間の人物、性別をもたない中性的な人物というのは「シャーマン・キング」であり、神聖な人々であった、だからマキシモという現代の少年に神聖さを持たせたというのが、驚きました。

 マキシモは新しく赴任してきた街のおまわりさん、ビクトルと知り合い、憧れとも尊敬とも愛情とも言える感情を持ち、押しかけ女房ぶりを発揮してしまうのです。そんなマキシモに戸惑うビクトル。周りも冷やかすし、危ない商売をしている家族は警察と仲良くするのを快く思わない・・・そんな中での少年の成長を落ち着いた色合いの中でやさしく描いています。

 マキシモを演じた男の子の微笑ましい女心ぶりも可愛いのですが、そんなフィリピンの民族性などもきちんと踏まえた上での少年像だったのですね。だから全然、いやらしい、けがらわしいという雰囲気が全くないのです。

そして、舞台となった街は監督自身が育って、住んでいる街であって、活気にあふれていて、女に憧れるマキシモのような少年も近所から疎外されたりしない。疎外や孤独、という言葉のない映画です。

 しかし、マキシモは成長する・・・それを綺麗な絵でラストに心憎い演出でもってくるあたり、とても新しいものと、今まで知らなかったフィリピンの民族性なども垣間見られてとても興味深い映画でした。

ソリト監督はドキュメンタリー映画の監督であり、今回は頼まれて監督したドラマ映画だそうですが、次は自分の祖先、パラワン民族についてのドキュメンタリーを作りたいそうです。そして日本の沖縄にも縁の深い監督でいつか沖縄を舞台にした映画も作りたい・・・うーん、観たいですね。ソリト監督の作った沖縄映画。

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