肉弾

肉弾

Nikudan a.k.a. Human Bullet

2006年11月22日 京橋 フィルムセンターにて(第7回東京フィルメックス・岡本喜八監督特集上映)

(1968年:日本:116分:監督 岡本喜八)

 岡本喜八監督は東宝の大作映画として『日本のいちばん長い日』を撮っていて、これは終戦の日の政治家たちのドラマなのですが、それに対となる形でATGで自主映画的に作られたのがこの『肉弾』だといいます。

 まず、この映画に出てくる人々には名前がありません。主人公の20歳と6ヶ月の兵隊(寺田農)は「あいつ」であり、上官(田中邦衛)は「区隊長」だけで、まず、戦争が人を人と扱っていない、個人を全く無視したものである、という設定なのです。

 しかも「あいつ」は、終戦間際、魚雷にドラム缶をくくりつけた人間魚雷となって海にぷかぷか浮いている。

「特攻隊には名前がついた。「神風」「回天」・・・でも、俺はどれでもないな、しいていうならドン亀だ・・・」

 岡本監督の自分の戦争体験を元にした映画ですが、とことん風刺と皮肉とそして戦争の愚かさをこれだけ出してきた映画は凄いと思います。

海にひとりで浮かびながら「あいつ」が回想する、軍隊の様子。区隊長に食べ物がない、皆、牛のように胃のものを反芻する事を覚えているのであります・・・と訴えると、「お前は牛か、いやそれ以下の豚だっ。豚は服なんか着ない。お前はハダカでいろっ!」とひとり、素っ裸で演習をしている「あいつ」・・・メガネのあいつが聞くことはは「あのー、豚はメガネをかけているものでありましょうか?」

なんとも、脱力ものの演習風景です。

 そして、とうとう本土決戦の日が来た、となって一日だけ休みがもらえたときの思い出。

本屋で、「あまり面白いとすぐ読んでしまうから、面白いけれど読みにくくて、分厚い本ある?」と聞くと、出されたのが分厚い聖書。

そして女郎屋に意を決して行く。そこで出合った清楚な少女(大谷直子)

ほんとうに一瞬の青春の甘酸っぱさを出していますが、その後、あいつのすることはひたすら浜辺で、特攻の訓練をするだけです。

穴を掘り、爆弾にみたてた箱をひとりでうんうん言いながら、運んでいるだけ。

 そこで出合う2人の少年。「兄」と「弟」。弟は「ニッポンよい国、清い国、強く国・・・」と暗唱している軍国少年です。

「清い国ってのはいいけどなぁ・・・強い国ってのは良くないなぁ・・・」とあいつはひとりつぶやく。

そして、看護婦の女たちに襲いかかる男たちを「因幡の白ウサギ」にたとえてシュールな幻想的な絵にします。それはあいつの頭の中に、女郎屋で出合って別れた少女が、「私は兎年」ということで、あいつの中には「うさぎが月見て跳ねる」が夢のような思い出になっているのです。そんなうさぎを丸裸にするワニたち。

 「あいつ」を演じた若き寺田農が、もうやせこけているのが凄い。ウサギの少女に「あなた酉年でしょ。やせこけてるもん」と言わてしまう。

戦争にもう、嫌気がさして、敗戦がわかっているのに、上の言う通りに真面目に兵隊をする「あいつ」

決して、戦争の悲惨さを見せつけるようなシーンはないのに、出てくるシーンが全て「愚かな戦争戯画」となっているのがやはり反骨精神。

そして最後の最後まで、あいつは報われることはない。それでも、戦争の底辺にいる人々の苦しさを描きながら、ユーモアを忘れず、悲惨さとか暗さの全くない新鮮なアイディアとイメージを持った映画です。

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