天使の影

天使の影

Schatten der Engel/Shadow of Angels

2006年11月21日 有楽町 朝日ホールにて(第7回東京フィルメックス)

(1976年:スイス:105分:監督 ダニエル・シュミット)

ダニエル・シュミット監督回顧上映

 これは金持になるほど不幸・・・という映画です。

 最近の流行言葉に「勝ち組」「セレブ」がありますが、昔だったら「金持」と言うところを何故か「自分たちにも楽して金を得ることがありえることかもしれない」憧れのニュアンスを感じます。「勝ち組」や「セレブ」を連発する人ほど、勝ち組でもセレブでもないただの人かと。

私はとんと、金に縁がないし、自分には関係ない言葉だと思っています。もちろん、金はないよりあった方がいいけれど、では金さえあればいいのか・・・というのがこの映画のあるひとつの面です。

 この映画の原作は舞台だそうで、内容から上演中止になってしまったそうです。

それをあえて映画化。それは、金がなくなって娼婦に身を落とす話はあるけれども、貧しい娼婦が金持に気に入られたとたん、彼女は不幸しか感じられなくなってしまう。

 この映画の主人公は、スイスの寒い橋の下で客をとっている娼婦のリリー。もう若いとはいえないし、客は他の娼婦を選び、リリーは売れ残り。しかも、胸を病んでいるのか嫌な咳も出る。

しかし、家に帰ればヒモの男が金をせびる。そんな時、不思議なユダヤ人男性が近づいてきて、リリーのことを気に入る。

このユダヤ人は大金持で、性的には不能なのに、リリーを買い、とりとめのない話をするだけで大金を出してくれる。

しかも、結婚までしようということになる。

 しかし、リリーを演じたイングリッド・カーフェンはいつも大きな目をして仮面のように表情を動かさない。

いつも大きく目を見開いて、まばたきもほとんどしません。人形のようなリリー。

金持と結婚できた・・・といっても全くうれしそうではないのです。

リリーは両親から勘当された身。ユダヤ人の夫は、今は女装してクラブで歌っている父とわざと会わせたりして、父と娘の間には相変わらず冷たい溝があるのを見ている。

ヒモだった男は逃げ出してしまう。リリーはそんな男に「苦しみ代としてお金をあげるわ」と冷たく言う。

 リリーはどんな仕打ちをされても、表情を変えないし、何も言わないけれど、金持夫人になって「幸福は必ずしも楽しくないわ」とつぶやく。

他の娼婦たちはそんなリリーを非難する。けれども、リリーはそれに対して何も言わない。そしてリリーが望むもの、それはただひとつ、死のみだ、ということになります。

 スイスにおけるユダヤ人差別の言葉がたくさん出てきたり、ユダヤ人に買われて、妻になるということに対して人々の目は冷たい。

ユダヤ人金持がよく言うのは「都市」という言葉です。都市という空間がわれわれを作り上げるのだ、という独特の「都市感」をもっています。

人間というものをとても無機的に描いていて、そこに出てくる人々は人間味のような甘さは一切ない。

映画の最初から生きることに何の感情も抱いていないようなリリーに金のような物理的なものは意味がない。

人々も哲学問答のような会話の繰り返しか、とにかく金、金、金という俗物か・・・どちらかしかない。生活感があふれているような会話はなく舞台を切り取ってきたかのような空間。この映画の世界に「勝ち組」とか「セレブ」といった言葉は全く関係ない。むしろそういう事を全面否定している映画です。

 生きることを放棄した人々の病んだ気持が螺旋のようにからみあって悲劇となっているようです。それが映画に凄みを出して観る者を圧倒する。

病んだ人々という中身をもった都市という器。

しかし映像は大変、綺麗です。病んだ美しさというものをきちんと出しています。暴力的なシーンはないけれども全体を貫く憂鬱なムードがなんともいえない魔力を持っています。

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